MUSE CREATION Charitable Trust [NGO]

LOVE & HOPE, NO BORDERS 🌏 国境を越えて、愛と希望。

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    ミューズ・クリエイションの新たな取り組みが始動した昨日。メンバーから有志6名が集っての、有意義なキックオフ・ミーティングを実施することができた。

    「異国で育つ日本の子どもたち」についてを考え、適切でリアルな情報を、バンガロールから発信する。ミューズ・クリエイションを創設して以来、ずっと形にしたいと思ってきた活動だ。

    もっと遡れば、日本を離れ、米国で働き始めたころからずっと、心にあるテーマでもある。

    「適切な情報が、適切な時期に入手できていれば、回避できたはずの問題」を、折に触れて耳にし続ける歳月。

    日本の未来を思う時、海外生活経験があり、日本人以外の友人らを持つ子供達の存在は、偉大なる「宝」だ。

    彼らが、彼らなりに、異郷の地で伸びやかに暮らし学び、帰国後、自らの経験をフルに生かした学校生活を送れたならば、日本と世界を繋ぐ、どれほど貴重な外交家になるだろう。

    しかし、日本という国は、帰国子女が住みやすい環境とは言い難い。どんなに時代が移り変わり、グローバルが叫ばれてなお、旧態依然。磨けば輝く宝石に、「敢えて」埃をまとわせ、くすませる傾向にある。

    石を輝かせるも、大人。くすませるも大人。大人が子供らに、道を示さねば。そのためには、親が学ばねばならない。親が子供を守らねばならない。親が適切な情報を知る必要がある。

    わたしがニューヨークに住んでいたころに起業したMuse Publishing, Inc.では、フリーペーパー”muse new york”を発行していた。その最終号(2001年秋号)が、この写真の冊子だ。丸ごと一冊を、海外に暮らす日本の子供たちに関する内容でまとめた。

    この古いながらも、今に通じる冊子を読み返しつつ、また手元にある関連記事を整理しつつ、メンバーと相談しつつ、「どんなにささやかなことでもいいから」、役立つ情報を発信すべく、徐々に体裁を整えていこうと思っている。

    本腰を入れて、取り組むべし。

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    2012年6月にミューズ・クリエイションを創設して以来、今回で7回目の参加となるOWCクリスマスバザール。OWCとは、Overseas Women’s Clubの略で、バンガロールに暮らす外国人女性たちからなるヴォランティアを主眼においたグループだ。

    毎週、コーヒーモーニングが開かれているほか、各種イヴェントを実施しており、日本人のメンバーも少なくない。縁あって異国に暮らしているのだから、日本人同士とばかり交流するのではなく、異なる国の人たちとの親交も深めたいもの。ミューズ・クリエイションのメンバーにも、折に触れて入会を促している。

    OWCが主催するイヴェントで最も大規模なクリスマスバザールが11月24日(土)に開催された。ミューズ・クリエイションは例年通り、今年も出店・出演した。準備の様子と、当日の光景を写真と動画でここに残しておく。

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    バザールの前日、前々日は2日間に亘りSTUDIO MUSE(拙宅)をオープンし、準備に勤しんだ。

    チーム・ハンディクラフトのメンバーは朝組、午後組と分かれて活動。ダンサーズは1時頃に集合して特訓。午後はクワイアも参加しての合唱練習……。4時ごろからお茶の時間で、解散となる。

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    イヴェントの朝は必ず早起きしてご飯を炊き、おむすびと卵焼きを作る。どんなに海外生活が長くても、生まれ育った母国のソウルフードはシンプルながら、力を与えてくれるのだ。

    わたしが食べていると、メンバーのハズバンド数名が、熱い視線を寄せてきた。日本で買って買って来た竹の皮に包まれた、このシンプルな弁当が、視覚的にそそるようである。

    この竹の皮は洗えば破れるまで使える優れもの。ラップに包むよりも「ほどよいしっとり感」を保つ。インドで簡単に入手できるバナナの葉でも代用できるはずだ。

    日本米と天然塩、海苔。好みによって梅干しや鰹節、醤油などがあればできるシンプルなおにぎり。ややこしいおかずがなくても、卵焼きや味噌、漬物あたりを添えるだけでも、十分に満足感を得られるというものだ。

    おにぎりとは、気持ちを込めつつ手で握るところがポイントだから、量産はできない。とはいえ「おにぎりや」をたま〜にやってみるのもいいかもしれないと思う。趣味の領域ではあるが。

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    曇天続きのバンガロールだったが、当日は快晴に恵まれた。

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    今回はステージ前の角のテーブルを確保。

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    メンバーは、店番を交代しつつ、自分たちの買い物も楽しむ。

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    折り紙やバルーンアートも好評だった。

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    ミューズ・クワイア&ダンサーズは例年通り会場の雰囲気を盛り上げるのに貢献した。

    今回、クワイアは、練習時間が極めて短かったことから、ミューズ・チャリティバザールと同じ『海の声』『モルダウ』『HAIL HOLY QUEEN』を披露。

    ダンサーズは『Pinga』と『Jai Ho!』を披露したのだった。出演後、メンバーはあちこちでパフォーマンスを褒められていた。同じポロシャツを着ているというだけで、出演していない人も褒められていた。

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    メンバーのファミリーもご来訪❤︎

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    そして毎年恒例のサンタクロースと子供との写真撮影❤︎

    🎄 🎅 🎁

    ただイヴェントに参加して楽しかった……という記録だけでは、片手落ちになってしまうので、今回は今後のことも考え、バザール後、メンバーに送った通信から一部を抜粋し、以下に転載する。

    バンガロールの趨勢は年々変化し、ミューズ・クリエイションの在り方についても、いつまでも「従来通り」を踏襲することが正しいとも思えない。

    わたしは運営者として6年以上に亘って活動を続けているが、メンバーの大半は1〜3年で帰任する。ミューズ・クリエイションにおいては、真の意味での「継続は力なり」が実現できない。

    そんな中、なるたけ経験を生かしてもらいたく、どんなに記録を残しておいても、「読んで想像して実際に生かす」ことは難しく、周囲の環境も変わる。来年も今まで通りの取り組み方でいいのか、との疑問もよぎる。

    楽しく過ごすことにも、それなりの知恵がいる。漫然と活動して「いい時間」を育めるわけではない。

    何に価値を置き、優先順位を定めていくのか。誰が何をどう努力すべきなのか。具体的に考えねばならないと思う。

    ◎OWCクリスマスバザールのご報告と今後の課題
    (ミューズ・クリエイション通信573号より抜粋)
     
    今回のOWCクリスマスバザールは、ミューズ・クリエイションとしては、7回目の参加でした。OWCクリスマスバザールにおいては、日本人有志からなるミューズ・クリエイションの存在は広く知られるところとなり、特にパフォーマンスではヴェンダーやゲストを楽しませるなど、そこそこに場を盛り上げる貢献をしていると思います。メンバーも販売や買い物を楽しみつつ、学園祭の気分を楽しめる有意義な一日だったと思います。

    ●イヴェントそのものを盛り上げることに貢献している。

    ●地域社会にミューズ・クリエイションの活動が認識される好機である。

    ●メンバーやその家族も、楽しいお祭り気分の一日を過ごせる。

    という見地からすれば、これからも今まで通り参加したいイヴェントであります。しかしその一方で、運営者としては頭の痛い点が一つあります。ここ数年、利益が劇的に落ちているという現実です。最下部に、ミューズ・クリエイションが利益を得ることができる3つのイヴェントの収支ファイルのスクリーンショットを添付しています。ご覧の通り、ここ数年、OWCクリスマスバザールに関しては、利益が激減しています。赤字にならなければいいと考えてはいましたが、材料費などを差し引くと、今回は赤字になると思います。

    もちろん全イヴェント収益に加え、皆さんから毎週STUDIO MUSEの参加費として徴収している100ルピーの利益がありますから、年間の活動を通して赤字になることはもちろんなく、年度末に慈善団体に寄付する一定額は確保できます。ただ、OWCのクリスマスバザールに関しては、今後、取り組み方を再検討する必要があるとも考えます。

    ☆利益が落ちた大きな理由は、主には外部的要因によるものだと判断しています。

    ●OWCクリスマスバザールは、かつては市街中心のセントマークス・カテドラルで実施されており、ゲスト数が今よりもずっと多かった。

    ●かつては、このようなイヴェントそのものが少なかったので、人々が関心を寄せていたが、昨今は同様のイヴェントがあちこちで開催されるようになった。

    ●インドのトレンドが年々変化し、ショッピングモールや店舗、Eコマースなどで、魅力的な商品が手軽に入手できるようになった。

    →結果、今年は今までで一番、来場者数が少なかった印象を受けました。

    ☆内部的な要因を挙げるならば、

    ●かつては、クリスマスプディング(多彩なドライフルーツ入りの欧米風クリスマスケーキ)などを大量に焼いて販売するなど、売り上げに多大な貢献をしていた。

    ●プロ並みに良質の布製品を、しかも大量生産できるメンバーが数名いた。

    といったことが挙げられます。しかしこのどちらもが、常に誰もができることではありませんし、それが望まれているわけでもありません。

    ミューズ・クリエイションはビジネスではなく、あくまで非営利団体ですから、利益最優先ではもちろんありません。そもそも「素人の集まり」が前提なので、利潤を追求するあまり、活動を楽しめなくなっては本末転倒です。ただその一方で、赤字を出して参加するのは、健全ではないとも考えます。

    わたし自身、今後のあり方については、明確なアイデアがない状態なので、メンバーのみなさんからの感想などを参考にしつつ、一度、有志のみなさんと、バザールだけでなく、ミューズ・クリエイションの活動内容全体を見直す打ち合わせをできればとも思っています。

    ……と、少々頭を悩ませてはいるものの、7回にもに亘って参加できているということは、すばらしいとも考えます。今回、ゲストとして来訪されていたOWCのフランス人メンバーも、OWCのメンバー向け情報誌にミューズ・クリエイションのことについて言及してくれていました。参考までにシェアしますので、ぜひ目を通してください。

    JAI HO!のダンス動画が届いていますので、YOUTUBEにアップロードしました。全体がバランスよく撮れているスタンダード・ヴァージョンもいいですが、家族愛がほとばしるナレーション入り動画も楽しいので、ぜひ両方ともご覧ください!

    ☆JAI HO! スタンダード・ヴァージョン

    ☆JAI HO! 家族愛(ママがんばれ〜!)ヴァージョン♥

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    【はじめに】

    9月15日土曜日、ミューズ・クリエイションのチーム・エキスパッツによる第2回ビジネス勉強会を実施した。

    今回、講演をしてくださったバンガロールの製薬会社、メドライク (Medreich)社の副社長、重光真氏のお話をお聞きしながらまとめた議事録を、翌日曜日に整理し、重光氏にご送付。内容の確認をお願いし、ネット上での公開を承諾していただいた。

    故に、当日の貴重なお話をかなり忠実に、多くの方々とシェアすることが可能となった。ありがたい限りだ。

    前置きを含め、かなり厖大な記録となったが、インドでのビジネスに携わる人にとっては、極めて参考になるお話、エピソードが満載だ。どうぞ、じっくりと目を通していただければと思う。

    Shigemitsu

    ★第2回ビジネス勉強会のご案内★(イヴェント告知記事より転載)

    9月15日(土)に開催される、ミューズ・クリエイション「チーム・エキスパッツ」企画のビジネス勉強会のご案内です。昨年に続き、2度目の今回は、バンガロールの製薬会社、メドライク (Medreich)社の副社長、重光真氏をお招きします。

    Meiji Seikaファルマは、3年前にインドのメドライク社を買収し、バンガロールに新工場を設立、ジェネリック医薬品の製造や販売を軌道に乗せています。

    なかなか順風満帆にはいかないインドにおけるビジネス。

    多様性に満ちた広大なこの土地では、都市によっても社会慣習や文化など、ライフスタイルや考え方が異なり、それらもまた障壁を高くしている一因です

    日本と比べると、著しく異なる環境の中、大小のハードルを乗り越え、荒波を交わしながら「インドで作り、日本で売る」ために尽力されている具体的なエピソードなども含め、お話をいただく予定です。

    なお昨年は、横河電機インディアの当時社長、村田努氏のお話を伺いました。10年以上に亘るインド駐在を通しての、さまざまな経験談を惜しみなくシェアしていただき、非常に有意義で勉強になるひとときでした。

    たとえ業種は異なれど、異文化に生まれ育った人たちと力を合わせてビジネスを進めるに際しては、学ぶところが極めて多いと考えます。

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    ★「XLサイズの浴衣の調達」が、この度の勉強会開催の契機

    Meiji Seikaファルマがメドライク社を買収して直後、4人の日本人駐在員が赴任された。その4人は、わたしがビジネスとして行っているところのミューズ・リンクスのセミナーを受講してくださり、またミューズ・クリエイションの慈善団体訪問にも参加されるなど、個人的にも交流があった。

    ミューズ・クリエイションのチーム・エキスパッツの前身であるところの「男組」の初代メンバーは、彼ら4名を含む数名であった。彼らがチーム・エキスパッツ結成の端緒だったともいえる。

    以下、重光氏のお話をご覧いただければ想像に難くないと思うが、4名の駐在員各位はバンガロール赴任中、多忙を極めていらっしゃり、お会いする機会は少なかった。それから1年あまりたち、重光氏が副社長として赴任された。

    重光氏もまた、ご多忙である中、昨年のチーム・エキスパッツ企画第1回ビジネス勉強会や、坂田主催のセミナーに参加してくださるなど、折に触れての交流があった。

    今回の勉強会をお願いしたのは、7月の出来事にさかのぼる。ある日、重光氏から、メッセージが届いた。

    週末、会社の記念日で大勢の社員やその家族(数千人)が集まるセレモニーがあり、そこで何名かの女性社員が日本の浴衣を着てダンスを披露することになっているという。

    浴衣は駐在員のご家族の手配で集められていたものの、一名だけサイズが合わず、XLの浴衣が必要だ、ひいてはどこかで浴衣を借りられないか、というご相談だった。

    XLサイズの浴衣。そんなレアな商品がこのバンガロールで入手できる場所は……まさに我が家だ!

    「わたしの高校時代(つい最近)の浴衣、お貸ししましょうか?」

    とメッセージをお送りしたところ、重光氏自ら、その日の夜、引き取りにいらしたのだった。

    ビールをお出しし、キュウリのぬか漬けをつまみに、お仕事のお話をお伺いする。

    そのときのお話に感銘を受け、これはもうぜひとも、多くの人たちにシェアしたいと思い、「近々、勉強会を実施するのでお願いしたい」との旨を伝えたのだった。

    社内イヴェントの、出し物のコスチュームのために、数千人規模の会社のトップが自ら、さりげなく、しかし確実に動かれることにも驚いたし、そのイヴェントの規模、そして買収した会社の伝統的な行事を、従来通り踏襲し、盛り上げようとされている様子にも、感じ入った。

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    ◎本題に入る前に、ざっと読んでおいていただきたいインドビジネスの背景

    1947年に印パ分離独立した直後、ネルー初代首相をはじめとするこの国の首脳は、インドの産業の基軸を構築すべく、その一つをエンジニアリングに据えた。米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)に倣い、IIT(インド工科大学)を国内に複数開設し、人材の教育を図った。しかし、独立以降、久しく続いた社会主義的経済のもとでは、優秀な人材の雇用機会がなく、若者の欧米志向と相まって、「頭脳流出 Brain Drain」傾向が顕著だった。

    インドの優秀な人材は、欧米先進国の経済成長に貢献。さまざまな業界で、インドの人々の尽力は大きな影響を与えてきた。インドの頭脳流出の趨勢を変えたのは、1991年のインド経済の自由化だ。ペレストロイカのあおりなどで、不況に陥ったインドは、経済政策を抜本的に見直さねばならない時期にあった。以降、海外資本が徐々にインドへ進出し始める。

    海外就労していたインドの優秀な人材が母国へ戻り始める「頭脳循環 Brain Circulation」の傾向が見られはじめたのは、2000年以降だ。Y2K問題を契機としたインドIT企業への注目、米国のITバブルの崩壊、911(世界同時多発テロ)などもその背景にある。

    その当時から進出していた日本企業も少なくなかったが、しかし数として顕著に増え始めたのは、2005年以降であろう。日本のメディアでもインド経済の急伸が伝えられ、東南アジアの向こう、インドへの進出はひとつのトレンドのような意味合いを持ち合わせ始めていたように思う。

    しかし、インド進出に際しては、その一筋縄ではいかない難関の多さに、多くの企業が困難に直面してきた。

    2008年、リーマンショックの直前にインドの製薬会社ランバクシーを買収した第一三共。しかしその直後からランバクシーの不正事案が次々と発覚。大問題に発展した。

    2009年にタタの携帯電話サーヴィス部門と合併会社「タタ・ドコモ」を設立したNTTドコモ共々、2014年にインド撤退を発表している。NTTに至っては、撤退交渉に手間取り、完全に提携解消が決着したのは去年2017年のことだ。

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    ↑重光さんが差し入れてくださった明治製菓のお菓子。

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    ↑セミナーにコーヒーブレイクは重要。坂田、またしてもショートブレッドを焼く。

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    ◎NTTドコモ、第一三共が撤退する中、インドに打って出たMeiji Seikaファルマ

    インドにおける日本の大手企業の失敗に、インド進出を踏みとどまる企業も増えるかのように見えたその時期。2014年6月、Meiji Seikaファルマ(株)は、インドの医薬品製造メーカー、メドライク社の買収を発表した。

    メドライクはバンガロールに拠点を持ち、国内外の製薬大手から医薬品の受託製造を手掛けている。2005年から後発薬(ジェネリック)にも参入し、インド国内に加えて欧州やアジアやアフリカなどの新興国で販売してきた。

    2015年3月に買収手続きが完了した直後、4名の日本人駐在員がバンガロールに赴任、新工場の設立などに尽力されていた。現在では、日本へ輸出すべく医薬品の製造も開始している。

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    ※以下が本題だ。パワーポイントの資料及び議事録、ともに重光氏の了承を得て掲載している。

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    ◎初の「海外出張」はインド

    ・1985年に入社。1989年本社異動直後、初の海外出張がインドだった。出張の直前に社長に呼ばれて「インドで通訳をせよ」と命じられる。当時の自分は英語ができたわけではなかったが、その場に居あわせたインド人の英語が少しわかったことが、その理由だったのだと思う。

    ・社会主義政策下のインドは、今とは様相が全く異なった。車が通れないほど多くの人々が道路を往来し、また道に連なって横たわっている。喧騒と雑踏に衝撃を受けた。

    ・当時は、海外出張の際、日本への連絡はテレックスを使用していた。ファクシミリ以前の連絡手段で、タイプライターが電話回線に直結し通信する。また、当時「台頭したばかり」の重量感ある携帯電話も持参していた。インドでは、テレックスはほとんど通じなかったが、携帯電話はそれよりは高頻度で通じた。

    ・出張中、国内線のエアインディアがストライキを起こし、仕方なく鉄道駅へ行くも、今度はテロが起こって列車が爆破され、乗れないなどのトラブルに巻き込まれた。

    ・工場へ視察へ訪れた際、日本との作業工程の違いに驚いた。たとえば、試験管やビーカーを使って実験をするという作業。それらを洗うだけのために、複数のスタッフがいた。蛇口をひねる、洗う、ふく、きれいかどうかチェックする、という作業を分業で行う奇妙な光景を目の当たりにした。多くの人々に雇用機会を与えていたのか、とも察せられるが、ともかくは人の多さが奇異だった。

    ・出張先の主な都市は、ハイデラバード、ムンバイ、チャンディガールなど化学工場があるところ。お酒が飲めない州もある中、ホテルの地下を延々と下りて行き、厳重なドアを開け、金庫に収められたウイスキーを出してもらったこともある。

    ◎初の「海外赴任」もインド

    ・入社5年目の海外初出張でインドを訪れて以来、数多くの国へ出張してきた。インドへも、何度も出張ベースで訪れていた。2014年、海外生産部へ異動し、メドライクの事業に本格的に携わる。

    ・Meiji Seikaファルマは、2014年6月に、メドライクを買収し、2015年2月に、買収手続きを完了した。

    ・2015年2月に買収手続きが完了して、駐在員4名がバンガロールへ単身赴任。買収直後のメドライクの「基盤」を整え、「工場設立」に携わる。彼らとは、PMI当時から一緒に取り組んできた。

    ・2016年、メドライクの副社長としてバンガロールに単身赴任。入社30余年にして、初めての海外赴任。過去の海外出張経験は豊富であるものの、周囲は、他国駐在経験者が多い中、自分自身にとってもかなりのチャレンジだった。

    ・自身は、生産技術、製造、品質保証関連が専門。FDAの通訳や、CEマーク取得などに携わってきた。また、日米欧医薬品国際調和会議において、海外の同業界の人たちと交流を図ってきた経験が、インドでのビジネスに役立っている。

    ・胃腸が丈夫だったので、どんな国でどんなものを食べても大丈夫だったが、インド赴任後、人生で初めて食あたりを経験したので、自分で料理を作るようになった。

    ◎インド人に対する、個人的な印象

    ・日本における「人付き合い」とは、会社同士、組織同士が重視される傾向。しかしインドでは、ポジションを問わず、個人でのネットワークが重視される。一度会って会話をすると、相手を覚えている。出会った経緯や、そのときのエピソードまでもきちんと覚えている人も多く、人間同士の繋がりを大切にしている印象。

    ・一方で、言葉は悪いが、情報がだだ漏れ。「ここだけの話」は通用しない。悪気があるわけではなく、「稀有な情報を持っている」ということのアピールか。ゆえに、絶対に外部へは漏らせない重要な話は、誰にもしない。

    ・日本では、インド人は嘘つく、嘘をつかない、といった話が取り沙汰されるが、「嘘」の意味合いが違う。会話の流れのなかで、仕事の功績などを語る際、10%を90%くらいに「盛る」。その際の、パーセンテージは極めて主観的な問題で、完全に嘘をつこうと思っているわけではないと身受けられる。自分自身は、「そのくらいの心意気でやっている」という思い。インドの人が99.99%と言ったら、そのときは70%と受け取る。99%は50%……という具合に。数字を額面通りには受け取らない。「特別なこと」に対する意識、感覚が、日本人とは異なる。

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    ◎Meiji のグローバルビジネスとメドライク買収の経緯

    ・Meijiは、基本的には日本の伝統的なスタイルを重視する古い体質。従来から、グローバルビジネスを掲げていたとはいえ、メドライク買収に関しては、思い切った選択だった。第一三共のランバクシー買収と売却という時期と重なっていたこともあり、周囲からも「なぜインドか」と問われることも多々あった。

    ・Meiji Seika ファルマ(株)という社名。英語とカタカナ、日本語混じりで、何かと表記しづらいが、命名した人は、敢えて「この名前のような会社」にしたかったのではないかと察する。日本の伝統を守りつつ、グローバルに打って出たいという思い。

    ・メドライクは1976年、バンガロールに創業。事業内容はB to Bの、マルチナショナルな製薬企業。最初の20年は国内市場のみだったが、以降はグローバルに展開を開始。

    ・メドライクLTD.は現在、バンガロールに6つ、ハイデラバードに1つ工場を持つ。インドを生産拠点として、医薬品製剤の受託製造(CMO)・受託開発製造(CDMO)およびジェネリック医薬品の開発・製造・販売を行ってきた。欧州、アジア、アフリカなど世界各国に向けて、グローバルに展開している。

    ・たとえばメドライクは、ファイザーなど、知名度の高いMulti Nationalの製薬会社の多くの薬剤を製造している。インドの病院で使われている薬のトップ10は、社名こそ大手製薬会社が冠されているものの、実際はメドライク製が約半数を占める。

    ・Meiji Seika ファルマが、約20年に亘ってインドとのビジネスを行ってきた経験から、ジェネリック薬品を製造している会社の中からメドライクに白羽の矢を立てた。

    ・Meiji Seikaに足りなくて、メドライクが優れていることの理解に努めた。買収の経緯も踏まえ、赴任前後の3年ほどに亘って、インドに関する勉強をした。

    ・第一三共の件もあり、買収には不安はあったが、メドライクしかないという確信があった。同社の海外ネットワークは大いに活用できる。「うまくいくまで帰れない」と、腹を決めて来ている。

    ◎インドにおける特許制度と製薬業界が盛んな理由

    ・インドに特許制度ができたのはつい最近のこと。特許の存在が「国民のために益を及ぼさない」という背景があった。国としては、特許制度は、むしろない方がインドのためだという考え方。

    ・受託生産と知的財産無視の安価生産技術。ドクターは多いが実験は得意ではない。基本的に「裁判で負けなければ正しい」という考え方。

    ・インドで製薬産業が盛んな理由は、従来3つあった。

    1. 人口が多く、同時に優秀な人材が多い。
    2. GE品新製品のの開発や廉価な製造を実現できる技術や歴史がある。
    3. 特許制度がなかった。

    本来、新薬開発に10年以上かかるので、特許を取得して開発期間中や販売開始後の他社の製造が特許期間中にできない仕組みが先進国にはある。

    インドの場合は、特許プロセスがないので、製造プロセスが比較的単純な化学医薬品の場合は特に、新薬が特許申請された直後から情報をコピーして、インドにて同じ物質を製造することができる。

    特許が切れた薬の製造(ジェネリック)にしても然り。既に長い期間に製造ノウハウと実績を貯めているので、競争力がある。欧米の製薬会社も、その傾向を遺憾に思うと同時に、理解し、活用してもいる。

    ◎インドにおける医薬品の根源は「国民が病気に苦しまない」ということ

    ・製品の効能に関係のない、たとえば錠剤の表面の肉眼では見えないような小さな黒い点(汚れ)などをして、品質が悪いとする日本。

    ・一方、品質管理が徹底していない、たとえば90%のコンディションでも、多くの人を救える方がいい。ゆえにインドでは、物作りの規制を意図的に緩くしている点がある。

    ・GCP (Good Clinical Practice:治験を実施する際に守るべきルール) は、日本は世界で一番厳しい。一方、インドは早く安く薬を出して、人を助けることが最優先。

    ・治験に関して、製薬会社は先進国で実施する前に、インドでPilot Study(予備実験)を行う場合がある。いわば人体実験であるが、もしも治る可能性があるのならば、「治験をやって欲しい」「実験台になってもいい」という患者がいるのは、歴然たる事実。お金が入るのであれば尚のこと。それを法で規制すると、救われない人が大勢出てくる。

    0007

    ◎インドのビジネス慣習に対する理解と個人的な姿勢

    ・海外出張では中国へ最も頻繁に訪れていた。インドと中国の違いは、インドの場合、キーパーソンがわかりやすいということ。一番声が大きく、主張する。中国では、最初にキーパーソンは出てこない。最後に出て来たトップが、鶴の一声でどんでん返し、というケースが多い。インドの方が、トップダウンが明確ゆえ、グローバルにはインドの方が受け入れられやすいとも考えられる。自己主張は強く、損得勘定もわかりやすい。

    ・たとえ10年後の話でも、相手の利益を考えながら話を進めることが大切。インドに関しては、ネガティブな面もあるが、個人的にはインドが好き。細かいことには拘らない。しかし大切なことはスピーディにシンプルに決める。個人のネットワークで仕事が広がり、ある意味フレキシブル。日本人にとってはやりにくい点があるかもしれないが、世界の変化が激しく、将来の予測が困難な中、インドのフレキシビリティ、ビジネス力は参考になる。

    0008

    ◎インドと日本の相違の中で、自身の在り方を構築

    ・インドでのビジネスに際し、優れていると思われるのはスピード。柔軟性。コスト安。グローバル。

    ・一方の課題は、インフラストラクチャーの問題。日本の常識が通じない。インドと日本は、極端に異なる常識。良し悪しはつけられない点も多い。日本にも問題がある。多くの国を見て来たからこそわかる。マネジメントの仕方も違う。ビジネススクールで教える内容が違う。

    ・インドにおいては、議事録ほど無駄なことはないとされる。稟議、あり得ない。

    ・決定権のある人間が明確。その人が責任を取ればいいというのがインド式。日印共同で仕事をする際、その点をわかっていないと混乱する。残念ながら、親会社からその点を十分に理解をされているかといえば、否である。駐在員の中で言われる「OKY:おめえが、ここにきて、やってみろ」を痛感している人も少なくないだろう。

    ・インドに対する理解。メドライクに対する課題。Meijiがグローバル化する上での課題。たとえ異業種であれ、多かれ少なかれ、日本企業は、グローバル化を図る上で、同じような問題を抱えているはず。グローバル化へのプロセス。

    0009

    ◎買収したからと、Meiji流を押し付けず、メドライクのやり方を活かす

    ・2014年7月の基本合意から半年後の正式契約後に、技術者2名、ファイナンシャル担当2名が駐在。日本向けに商品を作るための新工場を立ち上げ、社員の教育を行った。

    ・日本へ行ったことのない人たちに、日本の品質、物作りを伝える仕事。約1年の準備期間は艱難辛苦と試行錯誤の連続。

    ・一番は、お互いに信頼できる関係をつくったこと。技術的なことよりも「彼がやるんだからやろうよ」という信頼関係の構築。ガヴァナンスとリスペクト。その両方をつかむ努力。

    ・100%株買収を実施したからには、買収元の経営陣がドンと乗り込むというのが普通の流れ。ゆえに、メドライク従業員らは、不安だったはず。しかし、そうはしなかった。基本的にこれまで彼らがやってきたことを尊重した。

    ・そもそものオーナー、および辞職を望んだ人たち以外は、新生メドライクに残った。かつての経営の仕方をそのまま引き継ぐ形をとり、4人の駐在員が基盤を整えたあと、経営陣(副社長)として自分が赴任した。

    ・自分自身は、当初、インド人経営陣の中で孤立無援の状態だった。面倒なことは伝えず、いい話しか伝えないということもあった。しかし敢えてそこは肯定した。ただし、困った事態が発生したら、すぐに現場に飛んで行き、対応するよう努めた。上から押さえつけるようなことはせず、「生温い」と言われても、リスペクトを優先した。

    ・従来の方針を尊重してもらえてありがたいと言われる一方、Meijiがなにをしたいかわからないとい声も聞こえる。しかし、相手に敬意を払うことは大切。

    ◎押し付けないが、しかし確実に、日本流のビジネスを、伝える

    ・「日本人はこう考える」ということを伝えるのはとても難しいが、会社の方針、ミッション、ヴィジョンなどを、アクションガイドラインに沿って、説明してきた。日本の企業は、お客様の声を聞くことを優先する。しかしインド企業は、お客様ではなく、自分たちの利益獲得が優先。その辺りも、意識のすり合わせが大切。

    ・「品質管理」というテーマで、日本のスタンダードを理解してもらうのは、一筋縄ではいかない。日本における品質管理の定義は、医薬品に限らず世界市場では特殊。100個あったら、寸分たがわず100個同じものを作ることが望まれる。「コスメティック・クオリティ」と呼ばれるそれは、日本人だけが拘る。では、明治時代、あるいは終戦直後の日本は、果たしこうだったか。

    ・高度経済成長の時代、「ちょっとでも違う物はなおそう」とし、「小さな相違の撲滅と統一品質」を重視した。小さな相違は「異なることや将来の不良への予兆」と判断。ゆえに、厳密さが重視された。その重要性をインドの人たちに理解してもらい、実践に導くのは難しい。そもそも、その「完全なる同一品質」を意識して、周辺が設計されていない。

    ・多くの日本の企業が採用している。PDCA(Plan Do Check Action)を、メドライクでも採用しており、「継続的改善」を試みている。経営者に自ら「継続的改善」のリーダーシップを求め、リソース配分の責任を明確化している。

    ・日印の強みをバランスよく生かす。たとえばインドは、インフラが弱い。しかし設備投資額は安い。安くて信頼できる設備を構築することは困難だが努力すれば可能。

    ・ユニット7と呼ばれる日本向けの工場を建設する際、費用を安くするために、建築物設計を自分たちでやった。機械設備も、全てを日本製にすると予算が莫大なものとなるので、「譲れない特殊な装置」のみ日本製、あとは日本製より廉価な欧州製を揃えた。言葉とメンテナンスの問題を考えると、欧州の方が実践的。

    ・社内における安全管理のシステムが、日本とは大いに異なる。従業員を大切にするという考え方の相違。社員の作業や工場設備の安全性を追求することが、商品の品質管理の向上とも結びつく。メンタリティの問題について根気よく説明する必要がある。

    ・日本は信頼ベース。納期の遅れは将来の売り上げに直結するということを叩き込む。1日の遅れでさえ重要である。インドではそれでもいい。否定はしないが、日本では信頼を失うということを伝える。

    ・自らやってみせること、の重要性。「こうしろ」と指示するよりも、自分でやる。ゴミを捨てる。お弁当の器を洗うなど。すると周囲は驚きつつも、「これが日本流なのか」と開眼し、意識変化の契機となる。

    ・日本におけるパッケージングの徹底はまた、世界でも稀有。なぜ包装が大切なのか、説明するときに日本の商品を見せ、構造を観察させつつ、具体的に相違を説明する。日本は「包装さえが本質」だという価値観の伝授。

    ・インドの製薬企業が日本で成功しにくいのは、日本市場の特殊性に対応しにくいから。ゆえにその点を根気よく伝えて理解を促すことが大切。

    ・インドでは、包装の機械、資材などの準備が完全に整うまで数年かかるため、それまでは薬剤をバルクで日本に輸送し、包装する。

    ◎Meiji Seika ファルマ、メドライクの将来の展望

    ・かつてジェネリック医薬品は、軽視される傾向にあった。しかし日本の高齢化、個人、企業の高齢化などに伴い、廉価な医薬品を普及させることの必要性を認識し、15年ほど前から取り組んできた。

    ・日本の市場が受け入れ、世界の市場に通用するものをインドで安定供給することがテーマ。

    ・日本の市場で成功すれば、さらに別のマーケット(米国等)にも挑戦したい。

    ◎インドに来て学んだこと

    ・挑戦のバリアが違う。
    ・ターゲットをいかに分析するか。日本人は計画に沿いすぎる。
    ・インドのモノ作りの職人技。スキルの高度さ。技の継承など日印共通。
    ・経営判断の速度がはやく、読みが鋭い。モチベーションの重要性。
    ・メールのルールが大切。Ccの順番、Regardsの書き方なども意外に重視する。
    ・ノープロブレムを前向きに捉えたい。
    ・ノーと言わない。可能性が少しでもあればやりたいということ。
    ・議事録、ある意味いらないかな、と思うようになった。
    ・モチヴェーション、親身になる、思いやりの心。
    ・計算は早いが。日本的な解析は不得意か。

    日本の方が、古い考えから抜けられない、この国に、答えがたくさんあるような気がする。シナジー。異なることは面白いという考え方でいたい。

    グローバル化とは、まずは売上や利益の海外比率を上げること。そのための努力として、技術・組織・拠点等の基盤を構築し、製品を展開し、最終的にはグローバルに調達・生産・販売や開発等を進めていくことと理解している。インドでの挑戦はその流れに沿ったものであり、ある意味大きな新しい一歩を踏み出していると考えている。

    (以上、重光真氏の講演より)

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    【メドライク初代駐在員4名がミューズの活動に参加されたときの記録】

    ●「食」セミナー、調理実習、親睦会。ミューズ「男組」結成。(2015年7月)

    ●ミューズ・クリエイション「男組」も加わり子供と遊ぶ!(2015年7月)

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    【参考資料】

    ◎明治HD系、インド中堅後発薬を買収

    ●日本経済新聞(2014年6月11日)

    明治ホールディングスは11日、傘下の製薬会社Meiji Seika ファルマがインドの中堅後発医薬品メーカー、メドライクを買収すると発表した。メドライクの発行済み株式すべてを近く2億9千万ドル(約295億円)で取得する。メドライクが持つアジア・アフリカ地区の販売網を生かし、後発薬の海外販売を拡大する。

    メドライクはインドのバンガロールに拠点を持ち、世界の製薬大手から医薬品の受託製造を手掛けている。2005年から後発薬にも参入し、インド国内に加えて欧州やアジアやアフリカなどの新興国で販売している。13年3月期の連結売上高は1億5700万ドル(約160億円)。

    Meiji Seika ファルマは主に国内で後発薬を販売している。今回の買収でアフリカでの販路や、低コスト生産拠点を確保する。自社の医薬品をメドライクの販路に乗せ、世界で販売することも視野に入れている。明治ホールディングスは長期経営計画の中で、アジア・新興国向けの医薬品販売を拡大する方針を打ち出していた。

    ◎印後発薬メーカーのメドライク、買収を完了 明治ホールディングス

    ●日刊インド経済(2015年2月19日)

    明治ホールディングス(本社:東京都中央区)は13日、事業子会社のMeiji Seikaファルマとグループ会社が12日、印後発薬(ジェネリック医薬品)メーカーであるメドライクの全発行株式を取得するために必要な手続きを全て完了したと発表した。

    ◎インド法人Medreich Limitedの株式取得資金の融資について。海外展開支援融資ファシリティの一環として、日本企業の海外M&Aを支援

    ●株式会社国際協力銀行 プレスリリース(2015年3月3日)

    株式会社国際協力銀行(JBIC、総裁:渡辺博史)は、本日、「海外展開支援融資ファシリティ」*1の一環として、株式会社みずほ銀行、株式会社三菱東京UFJ銀行、株式会社りそな銀行、三井住友信託銀行株式会社、三菱UFJ信託銀行株式会社及び株式会社三井住友銀行の各民間金融機関との間で、Meiji Seika ファルマ株式会社(以下「Meiji Seika ファルマ」)によるインド法人Medreich Limited(以下「メドライク」)の株式取得に必要な資金の一部に係る貸付契約を締結しました。

    本件は、JBICが各民間金融機関との間でそれぞれ締結済のM&Aクレジットライン設定のための一般協定に基づき、各民間金融機関を通じて融資を行うものです。(買収総額約287百万米ドルに対し、JBIC融資承諾額計約172百万米ドル限度)。

    メドライクは、インドを生産拠点として、医薬品製剤の受託製造(CMO)*2・受託開発製造(CDMO)*3及びジェネリック医薬品の製造・販売事業を、欧州、アジア、アフリカなどに向けて展開する企業です。本買収により、Meiji Seikaファルマは、医薬品の低コスト生産・生産数量拡大のためのインフラを獲得するとともに、低価格薬剤の需要増加が見込まれるインドやアジア・アフリカ諸国におけるジェネリック医薬品の販売網を獲得することで、ジェネリック医薬品事業とアジア・新興国を中心とした海外事業を拡大し、医薬品事業の持続的成長を企図しております。

    本融資は、日本企業による海外でのM&Aに必要な長期外貨資金を本邦金融機関と連携して機動的に供給することで、日本企業の海外における事業拡大や新たな事業展開を支援し、日本の産業の国際競争力の維持及び向上に貢献するものです。JBICは今後も、日本の公的金融機関として、民間金融機関と連携しつつ、日本企業による海外M&Aへの支援を行っていきます。

    ◎Meiji Seika ファルマ GE子会社「Me ファルマ」新設 低薬価品の長期安定供給図る 製造はインド、MRは使わず

    ●ミクスOnline(2017/05/10)

    Meiji Seika ファルマは5月9日、後発医薬品(GE)を製造販売する完全子会社「Me ファルマ」(東京都中央区)を設立し、営業を開始したと発表した。GEが、薬価の毎年改定で薬価が急速に下落すると予想される一方で、高齢化や地域包括ケアで増える需要に応えるため、グローバル生産体制を持つインドの生産子会社メドライクでの原薬調達・製造と、MRを使わない営業体制で、ローコストオペレーションを徹底し、数度の薬価改定を経て低薬価となったGEでも長期にわたる安定供給を可能にするビジネスの実現を図る。今後、需要増が見込まれる生活習慣病のGEを中心に扱う。

    薬価の毎年改定により、GEの安定供給にはローコストオペレーションが必須になる。その中で、コスト効率の高い原薬調達と製剤製造を行えるメドライク社が、日本向けの品質に合わせた商業生産体制を整えたことから、新会社をスタートさせた。社員はMeiji Seika ファルマから出向した約20人。高いコスト競争力と高品質を兼ね備えたGEメーカーを目指す。

    このビジネスモデルを検討してきた吉田優氏がMe ファルマ社長に就き、9日に行った記者会見で、薬価の毎年改定が導入されることでGE事業環境が共存から生き残り競争へと「大きく潮目が変わる」と指摘。「(毎年改定により)単価が下がることでお届けすべき患者さんに(必要な薬剤を)お届けできなくなるのではないかというのが発想の原点」と述べ、「ジェネリック医薬品を安定してお届けし続けるためにMe ファルマをつくった。(製剤バルク製造を担う)メドライクのグローバルな生産体制と、(検査・包装を担う)小田原工場に代表される品質管理体制を融合することで、日本品質のジェネリック医薬品をお届けしたい。これができるのは我々くらいしかないという自負を持って行う」と抱負を語った。

    Meiji Seika ファルマの小林大吉郎社長は会見で、「基礎的な医薬品を安価でも提供し続ける、その任の一端を担うため、今回のビジネスモデルを提案した。その安定供給の需要に応えたい」と話した。

    Meファルマでは、Meiji Seika ファルマが扱う中枢神経や呼吸器、感染症領域以外の、生活習慣病、消化器病などの領域のGEを扱う。具体的な売上目標など事業計画は明かしていないが、10月からMeiji Seika ファルマや他社から承継した7品目を順次販売し、まずは新会社や製品の知名度の浸透に取り組む。

    18年度以降、Meiji Seika ファルマや他社からGEを承継することを中心に製品の拡充などを進め、事業拡大を図る。既に採用されている他社のGEを切り替えていくことが基本になるため、医療施設の製品見直しや卸の推奨品の見直しなどの機会を捉えて攻勢をかける。新たな地域医療提供体制の動向を見極めて、市場開拓を進める。

    営業体制では、チェーン薬局や地域医療連携推進法人などグループ病院の担当者を配置し、提案活動を行う。MRは配置せず、コールセンターやホームページ、IT活用による情報提供を進めるほか、医薬品卸との共同販売体制を検討する。副作用等安全性情報の収集・管理は、Meiji Seika ファルマによるバックアップなどで対応する。

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    インドで、日本向け医薬品の生産体制を構築。
    異文化と格闘しながら、プロジェクトを成功に導く。

    Meiji Seika ファルマのサイトより転載

    2014年6月、Meiji Seika ファルマはインドの医薬品製造メーカー、メドライク社の買収を発表した。このM&Aにより、Meiji Seika ファルマはグローバルで大きく成長を果たすための強力な基盤を手に入れることになった。このプロジェクトを成功させるべく、インドで奮闘した4人のメンバーに迫る。

    PHASE 01 インドの買収先企業に赴き、現地のスタッフと協業。衝撃と驚愕の連続。

    Meiji Seika ファルマは、日本の製薬業界のなかでも早くからグローバル展開に力を入れてきた企業だ。

    いまから半世紀以上前の1954年から抗生物質の輸出を開始し、以降1970年代から2000年代にかけて、インドネシア、タイ、中国、スペインに医薬品の生産・販売を担う現地法人を次々と設立。そして2010年代に入り、さらなる事業拡大を図るための重要戦略として実行されたのがメドライク社の買収だ。メドライク社はインドのバンガロールに本拠を置く医薬品製造メーカーであり、世界の製薬大手企業より医薬品の受託製造を請け負っているほか、自社で開発したジェネリック医薬品を、インド国内はもとより欧州やアジア、アフリカなどの新興国で販売している。

    Meiji Seika ファルマは以前より、自社の得意領域である感染症と中枢神経系の新薬の開発に加えて、高品質なジェネリック医薬品を提供することにも注力しており、「スペシャリティ&ジェネリック・ファルマ」を目指すべきビジョンとして掲げている。そして今後の医療情勢の変化を踏まえ、安心・安全なジェネリック医薬品をより安価に、安定的に供給する生産体制の構築が必要とされていた。メドライク社を傘下に収めることで、Meiji Seika ファルマはジェネリック医薬品を低コストで大量に生産する能力を獲得し、ビジョンの実現に向けて一気に飛躍できる環境が整った。

    そこでまず、インドから日本市場にジェネリック医薬品を供給すべく、現地で新たに建設される工場内に日本向け製品の生産体制を構築するプロジェクトがスタートした。

    このプロジェクトに深く関わったメンバーの一人が吉松だ。品質管理・品質保証の専門家であり、現地で立ち上げる製剤工程に日本基準の品質をもたらすためにインドに赴任。当初、吉松はそこで文化の違いに衝撃を受けたという。

    「工場で製造を担うメドライクのインド人スタッフたちと一緒にプロジェクトを進めていきましたが、現地での会議は各自が自由に意見を言い合うスタイルで、収拾がつかないこともしばしば。また、トップダウンの指示系統ができあがっており、現場から提案を上げるという文化がなかった。そこに日本のメーカーである我々の思想を持ち込むのは、並大抵のことではないと感じました。さらに、メドライクの品質管理担当のスタッフが実際に作業しているのを見ると、器具の使い方を十分習熟しておらず、きちんと精度が出る手技で試験が行われていなかった。こんなレベルなのかと驚愕しましたし、果たして日本向けの品質を持った医薬品を彼らと協業しながら製造できるのか、最初は不安しかありませんでしたね」。

    PHASE 02 価値観の違い。言葉の違い。さまざまな障壁をどう乗り越えていくのか。

    生産技術担当の樋口もまた、現地でインド特有の文化に頭を悩ませていた。樋口に託されたミッションは、日本で技術検討した製剤製造を移管すること。当時まだ入社4年目ながらこのプロジェクトに参加し、2ヵ月に一度のペースで現地に長期出張していた。

    「私の所属部署は海外への生産技術移管を手がけており、私も入社3年目から海外の現地法人への出張を経験してきました。しかし、メドライクとのプロジェクトではこれまでと同様には仕事が進められなくて……トップダウンの風土が強く根づいていたために、工場の現場にはたくさんスタッフがいるのに『これは私の担当ではない』となかなかチームとして機能していない。彼らに粘り強く働きかけて、スケジュール通りに業務をこなしていくことには本当に苦労しました」。

    エンジニアリング部門を担当する天野も、このプロジェクトで重要な役割を務めた一人だ。頻繁にインドに出張し、日本向け製品の生産設備を導入していくことに奮闘した。

    「インド人は大らかというか、時間感覚が緩くて、進捗が遅れてもまったく気にしない。そんなスタッフたちを動かしながら、少しでもスケジュールを遅らせないように機械を導入するのはとても難儀でした。時には会話によるコミュニケーションがうまくいかず、大げさな身振り手振りを交え、必死に言いたいことを伝えていきました…

    そんなやりとりを重ねるうち、彼らも『天野がそんなに熱心ならやるよ』と。また、今回はメドライクに納入実績のあるイギリスやドイツのメーカーから機械を調達することになり、それも私にとっては未知の経験。日本の設備なら当然備わっている仕様がついていないことも多く、そのたびに面倒な折衝が求められ、とても大変でした」。

    こうして製造工程を立ち上げていく一方、メドライク社の研究所と協業して日本向けの新たなジェネリック医薬品を開発する取り組みもスタートした。そこに参加することになったのがキャリア入社の有坂だ。

    「インドに出張してメドライクの研究者たちとの開発会議に参加することになったものの、最初はそこで何が議論されているのかまったく判らなかった。それまで独学で英語を勉強してそれなりに自信があったのですが、インド人の英語は訛りがあるので全然理解できなくて……しばらくは言葉の壁に苦しみ、何も存在感を示せない自分が情けなかったですね」。

    PHASE 03 苦労の先に感動がある。大きく成長できる。こんな経験は日本では味わえない。

    さまざまな問題に直面して大変な思いを味わったメンバーたち。しかし、重大なプロジェクトを担う使命感と責任感が彼らの原動力となり、文化の違いなどの障壁を乗り越えていった。吉松はこう振り返る。

    「ただ指示を待っていたインド人スタッフたちと深く関わることで、次第に彼らのほうから提案が上がってくるようになりましたし、また、スキルが未熟だったスタッフたちに正しい品質管理技法を伝授すると、瞬く間に習熟。彼らが変わっていくのを目の当たりにした時は、私も大いにモチベーションが上がりましたね。こうして品質管理体制を築いてインド赴任から帰国する際、スタッフ一人一人から『教えていただいてありがとう』と感謝の言葉をいただき、その時は思わず胸が熱くなりました」。

    エンジニアリング担当の天野も、インド人スタッフたちとの交流がいちばん心に残っていると言う。

    「インド人は同僚と一緒に酒を飲むような習慣はないのですが、彼らと一緒に設備導入を完了させた時、メドライク側のリーダーが『記念にサケパーティーをやろう』と持ちかけてきて……その時は同じ思いを共有できたと感じて嬉しかったですね」。そして2017年夏に日本向けの新たな製造ラインが本格稼働し、日本向け製品の出荷がスタート。生産技術担当の樋口は言う。

    「担当製品が日本に向けて初めて出荷された時は、本当に大きな達成感がありました。苦労の連続でしたが、日本ではまず味わえない経験を通して非常に成長できたと感じていますし、若いうちからこうしたチャンスを与えてくれた会社に感謝しています」。

    メドライク社との共同開発に携わる有坂も、日々成長を感じているという。「当初はあまり貢献できませんでしたが、懸命に努力し、いまではメドライクの研究所長から直々に意見を求められる機会も増えてきました。苦手だったインドのカレーも平気で食べられるようになって、精神的にも肉体的にもタフになりました」。

    天野もこのプロジェクトを通じて、異なる価値観を持つ人材を率いて事業を推進していくマネジメント力が大いに鍛えられたという。プロジェクトは現在も進行中であり、有坂と樋口はいまなお、日本とインドを往来している。インドは電力供給が不安定で、停電も頻繁に起きる。そんな状況下でも設備が稼働し続けられるよう、保守技術を日本並みに向上させていくことが今後の課題だ。

    これからインドにおいて日本向け製品の生産をさらに拡大していく方針であり、日本国内ではそのメドライク製品の新たな販路として、2017年、Me ファルマ社を設立。患者さんのために、将来にわたって高品質かつ安価なジェネリックを安定的に供給するための体制が整った。さらにその先には自社の医薬品をメドライクの販路に乗せて、アジア・アフリカ地域をはじめ各国で販売することも視野に入れている。

    Meiji Seika ファルマの医薬品は、国内だけでなく、世界の人びとの健康をこれからも支え続ける。60を超える国や地域に加え、新たな販路獲得に向け、さらなる挑戦は続く。Meiji Seika ファルマのグローバル戦略は、まさにこれからが本番だ。

    ◎吉松 紀彦:小田原品質保証室(1996年入社/応用生物工学専攻修了)
    入社後、小田原工場の技術課で製剤技術を担当し、その後、品質管理と品質保証に従事。2014年から2017年にわたってメドライク社に2年半赴任し、現地での品質管理・品質保証体制の構築を指揮した。
    ジェネリック製剤研究室

    ◎ 有坂 昌也(2015年入社/薬学部卒)
    同業からの転職。前職では製剤研究に従事し、Meiji Seika ファルマ入社後も同様の業務を担当。現在、メドライク社との協業による日本向けジェネリック医薬品の開発プロジェクトに参画している。

    ◎樋口翔 :生産技術部 製剤技術室(2013年入社/薬学部卒)
    入社3年目より、国内で検討・確立した製剤技術を海外拠点へ移管する業務を担当。2016年からはメドライク関連業務を担当するようになり、インドで新たに建設された工場への生産技術移管に力を注いでいる。

    ◎ 天野 勝仁:生産本部 エンジニアリンググループ(1996年入社/工学部卒)

    入社後、小田原工場に3年、その後自社の技術を外販するエンジニアリング会社に5年在籍し、現在は本社の生産本部に所属。今回のプロジェクトではメドライクの新工場への生産設備の導入を担った。

    ※所属・内容は取材当時

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    ★9月7日(金)無事にバザール終了!

    Muse Charity Bazaar and Concert 2018 was the huge success! Thank you so much for all the guests who visited the bazaar yesterday! I hope everyone had a good time with us. I thank for Asian Restaurant 1Q1 and all its staff. The venue was truly wonderful!

    昨日開催された第7回ミューズ・チャリティバザール&コンサートは無事、盛況のうちに終了しました! ゲストのみなさま、ご来訪ありがとうございました。

    また無償でパフォーマンスを披露してくださったミュージシャンのみなさまに、心より感謝します。

    出店ヴェンダーのみなさんも、それぞれにとても楽しまれていました。また、ミューズ・クリエイションのメンバーも、学園祭の気分で大いに楽しみました。

    今回は、かつてなく出店者を慈善団体やサステナビリティ関連のビジネスに特化し、ヴェンダー数を絞り込むという新たな試みを実施しました。

    ここ数年、バンガロール市内では数々のクラフトバザールが開催されはじめたことから、「NGOとしてのミューズ・クリエイションらしさ」をアピールすべく、規模縮小でした。

    出店者には無料でテーブルを提供したので、バザール全体の利益は減ったものの、慈善団体に商品販売や活動告知の場を提供できたことは、極めて意義深かったと思います。

    来訪者は111名、関係者含め160名程度と動員数は過去に比して少なかったものの、会場の雰囲気がよく、ステージプログラムもほぼ間断なく続いたことから、長居をされる方が多かったのもよかったです。

    なお来場者のうち60名が日本人、インド人41名、その他国籍が10名という構成でした。もっと他の国籍の人たちにも来訪してほしいという思いはありますが、日印交流という意味では、いいバランスだったように思います。

    毎年、それぞれに、それぞれのよさや反省点があるバザールではありますが、今回はこれまでの経験が生かされて、関わった人たちがみなバランスよくいい時間を過ごされたように思います。

    会場を提供してくれた1Q1をはじめ、関係者のみなさま、改めてありがとうございました。

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    ★ミューズ・チャリティバザールの企画書より一部抜粋

    ミューズ・チャリティバザール&コンサートは、ミューズ・クリエイションが主催する年に一度のチャリティバザールで、今年は7回目を迎えます。

    今年のチャリティバザールは、かつて以上に、慈善活動にフォーカスします。バンガロールの慈善団体、非営利団体を招待し、テーブルを提供。それぞれの団体が作る手工芸品の販売や、団体の紹介を行います。バンガロールにどのような慈善団体があり、どのようなヴォランティア活動ができるのかということを知る契機にもなります。CSRの対象を検討するのにも役立つ催しです。

    例年通り、ミューズ・クリエイションのメンバーによるヴァラエティ豊かな手工芸品も販売。日本文化の一端をアピールすべく、書道や折り紙などのデモンストレーションも行います。またステージでは、ミューズ・クワイア&ダンサーズをはじめ、外部のミュージシャン、パフォーマーがライヴを行う予定です。

    会場は、昨年のオープン以来、人気の高いアジア料理店「1Q1 キッチン&バー」のダイニング。インディアン・エクスプレスの印刷工場だった建物を改築して造られた店内は、アールデコの意匠を反映したエレガントな内装で、高い天井が開放的。市内中心部という利便性の高いロケーションも魅力です。バザール当日は、1Q1からフェスティバル特別メニューも用意されます。

    ※同バザールの収益は、すべて地元の慈善団体への寄付金に充当されます。

    ◎チャリティ・バザール&コンサートの目的

    ・ファンド・レイジング(ローカルの慈善団体へ寄付すべく資金調達)
    ・日本人コミュニティと地域社会との交流
    ・バンガロール在留邦人が慈善活動を行っているというアピール
    ・ミューズ・クリエイションの活動成果の披露
    ・ミューズ・クリエイションのメンバーが学園祭気分を楽しむ

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    ◎Jagruthi:エイズ罹患の子供達のホーム、スラム内の学校運営

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    ◎Daily Dump:コンポスト関連商品の販売とゴミ問題啓蒙サーヴィス

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    ◎BYOBag:エコロジカルで機能的なショッピングバッグの販売

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    ◎One Billion Literates:貧困層の子ども教育支援

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    ◎Madhubani Painting:インドの伝統的絵画マドゥバニアートの作品。コルカタの慈善団体とコラボレーションでの作品も扱う

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    ◎Nature Alley:カディなどインドの伝統的なテキスタイルを用いた衣類

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    ◎Joy at work:ホワイトフィールドの貧困女性職業支援。手工芸品販売

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    ☆受付嬢♡

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    ☆Cafe Muse。南インド産の美味コーヒー豆&パウダー(ミューズ・クリエイション販売)と、人気のショートブレッド。

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    ☆チーム・ハンディクラフトの作品販売

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    ☆会場は天井が高く、広々としていて快適。今回は出店者を慈善団体に絞り込み、空間を重視したこともよかった。

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    ☆ミューズ・ダンサーズによるボリウッドダンス、Pinga。

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    ☆1Q1のマネージャーの一人も、うれしそうに撮影。

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    ☆ステージ・プログラムの合間に、慈善団体の紹介。JAGRUTHIの活動内容をアピール。

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    ☆カラフルに賑わう会場。

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    ☆ランチメニューも充実。ゲストが大挙した正午ごろは、レストランのスタッフも対応が遅れていたようだが、その時間帯を除いては、いい感じにサーヴィスされ、料理の評判もよかった。

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    ☆1Q1が用意してくれた特別メニュー。日本語があったほうが注文しやすいと思ったので、日本語訳。メンバーの一人が、かわいらしいレイアウトでメニューを作ってくれた。

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    ☆バンガロールのボリウットチームも参加してくれた。会場、大いに沸く。色鮮やかな衣装が際立って、とてもすてきだった。

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    ☆こちらが今回の、充実のステージプログラム!

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    ☆メンバーの一人がお琴の演奏を披露してくれた。琴についてを事前に調べ、日本語と英語でゲストに説明する。実はわたし自身、知らないことがたくさんで、極めて勉強になったのだった。

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    ☆こんなに間近で琴の音色を聴くのは初めてのこと。まさに、「琴線に触れる」音!!

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    ☆説明時に使った英文資料のまとめ。「さくら」を最初に演奏してもらった後、チューニングを変えている間に説明した。参考までに。

    “Sakura” means “Cherry Blossom” in Japanese.

    One of the most famous Koto pieces of music is “Sakura”. The main melody of this song will be familiar to nearly all Japanese people.

    The origin of what we call Koto today began in China, and was imported into Japan in the 8th century. During the Nara and Heian periods, the word, Koto, meant all the string instruments, including the Biwa no Koto (琵琶、four string lute, similar to Vina), Kin (琴、seven string zither), and So no Koto (箏、13 string zither). Today, when we say Koto, it refers to the So no Koto, 13 string zither.

    The Koto, is one of a series of Japanese classical instruments that, along with the appropriate musical scales, give Japanese music and culture its distinctive sound. The sound is produced by plucking the strings using artificial “nails” which are placed over two fingers and the thumb of the right hand.

    Each of the 13 strings is tuned to a different note. The note produced by each string is defined by the position of the small “stands” placed under the strings. Different songs usually require different tunings, and it is not unusual for players to use several different kotos during a performance.

    The score of a koto is not usually the traditional Italian one. It is more usual to find the score written in kanji, or Japanese characters. The score is usually written vertically, from top to bottom and from right to left!

    The idiom kinsen ni fureru (琴線に触れる) means that a great/beautiful thing impresses you or makes you sympathize.

    Kin (琴) means Koto, Sen (線) means “chord,” and fureru (触れる) means “to touch.” Thus, this idiom was born by comparing a chord of kin with a heart that is easy to resonate.

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    ☆そして、プロフェッショナルなピアノとヴァイオリンの演奏。なんて贅沢なひととき!

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    ☆場の空気を凍てつかせる、FROZEN。いや、沸かせたはず!

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    ☆『生まれてはじめて』、日本語で歌うのにも、かなりの特訓を要したが、楽しかった! 今度は英語で歌えるよう、練習する! ちなみにこの服は、インド移住当初、10年以上前に購入したもの。なんとなく、アナのドレスの色に似ているのに気がついて発掘。

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    ☆去年の2月に特訓し、2回披露したままだった『千本桜』が復活!

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    ☆親しいインド人の友人らが応援に駆けつけてくれた!

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    ☆夫の親しい友人らも、仕事を抜け出して駆けつけてくれた!

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    ☆去年のミューズ・チャリティバザールが初ステージだったメグ。1年のうちに、ぐんと歌がうまくなっていて、驚き!

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    ☆メグのかわいい歌声に聞き入るマイハニー

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    ☆書道でモンストレーションや折り紙コーナーもありました!

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    ☆この前日、インドの最高裁が、性的少数者(LGBT)を合法的に認めるとの判決を下した。歴史的な出来事である。ゆえに、お祝いのバナーも作っておいたのだった。

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    ☆そして、打ち上げ! この瞬間のビールの、おいしいことといったらもう!!!

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    ☆一部のメンバーしか残れなかったけれど……みんな、お疲れ様でした! 以下、ダンスや歌の動画をシェア。その他の動画は、ミューズ・クリエイションのFacebookページにいくつかアップロードしている。

    サウンド・オブ・ミュージック。「ただひとり、丘にのぼり、懐かしい愛の歌」のあたりが、たまらなくいい歌詞。遠い昔、欧州をひとり3カ月放浪した時にたどり着いたイタリアはトスカーナ地方のアッシジの、丘にのぼったときのことを、思い出す。

    『生まれてはじめて』はとても好きな曲なので、歌ってみたいと思っていたが、一人でやるには諸々、難易度が高い。それなりに、恥ずかしい。

    「誰かエルサをやってくれない?」と頼んだら、クワイアのメンバーが手を挙げてくれたので、新ユニット、フローズン・ミューズを結成。これはもう、恥ずかしがってはいけないのだ。ということで、アナになりきることにした。

    なにかふさわしい服はないものかとクローゼットを物色していていたら、12年ほど前に買ったインド服が出てきた。なかなかにアナっぽい気がする。

    そんな次第で、アナになりきって熱唱しているのだが、途中、自分の動きが「金八先生」に見えて、若干痛い。痛いが、非常に楽しかった! 今後は動きにも配慮しよう。こうなったらもう、テイラーでアナとエルサと同じ衣装を特注してしまおうかとさえ思う。

    永遠に続く、学園祭人生。

    『千本桜』復活! 昨年2月のジャパン・ハッバで披露した千本桜。せっかく衣装も誂えたのだから、いつかまたやりたいと思っていた。今回、坂田除く新メンバー3人で、改めて特訓し、実現した。このダンスを踊るにはステージが少々狭かったが、みな楽しんで踊れたと思う!

    本来は午前午後、2回踊る予定だったが、インド人メンバーのサーニャさんのご家族が閉会間際にいらしたので、特別に3回目も踊った。だいぶ、いい運動になった!

    この「なんちゃって浴衣」を活用できる踊り、今後もダンサーズで考えて練習してほしいと思う。

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    (8月30日の記録)

    ミューズ・チャリティバザールを1週間後に、チーム・エキスパッツのビジネス勉強会を2週間後に控え、ホリデーシーズンも相まって諸々立て込むこの季節。メンバーもまた、旅に出たり、一時帰国をされたりと、イヴェントごとのタイミングを合わせるのは難しい。

    そんな最中、メンバーの一人から、義弟(大学生)のバンガロール来訪に合わせて慈善団体訪問ができればとの依頼があった。もちろん、場所を紹介して、彼らだけで行ってもらうことも可能であったが、せっかくであれば、他にも行きたいというメンバーをお誘いしたい。

    折しも、別のメンバーのお嬢さんも来訪されている。彼女も含め、他の学生メンバーとその友人も加わって、今回は我が家からほど近い、コックスタウンの一隅に広がるスラムの只中にある慈善団体を訪問することにしたのだった。

    目的地は、先日、わたしが一人で下見に訪れたところの、JAGRUTHI。

    同団体についての詳細は、前回の訪問時に記しているので、ここでは割愛する。過去のブログに目を通していただきたい。

    ●劣悪な環境で育つ、娼婦の子供たちを救済。JAGRUTHIを訪問(←CLICK!)

    今回は、JAGRUTHIのオフィス兼、身寄りのない子供らがともに暮らすホームを見学した後、近所にある学校を見学する予定だったが、結果的には学校訪問を先に行ったため、ホーム見学ができずじまいではあった。

    しかし、学校で子供たちと直接触れ合うことができたのは、とても貴重な経験であった。

    今回の活動記録の詳細は、参加者の感想に任せ、わたしは写真と、それに伴うキャプションを紹介するにとどめる。

    なお、同団体は子供のプライヴァシー保護という観点から、小人数の子供の大きな顔写真を掲載することを禁じているので、表情のわかりにくい写真だけを掲載している。

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    住宅街の中にあるオフィスからスラムの中を歩いて学校へ。わずか5分ほどの道のりながら、あたりの光景は雑然として、長いこと歩いたような気分になる。なにしろ、路傍のゴミが多いのが気になる。

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    野良牛、野良犬は、「当たり前」の光景。

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    学校は、きれいに清掃されている。CSRの一環として、米国企業の社員が週末ヴォランティアに来ているとのことで、この壁の絵画も、彼らが「描いている最中」なのだという。

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    学校の職員による歓迎の儀式。火が燃え盛りすぎているのは、気のせい? ではない。ちょっとオイル入れすぎ。燃えすぎ。

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    まずは保健室兼職員室に通される。前回も特筆したところの、生徒全員の記録がファイルされたノート。子供のバックグラウンド、家族の状況、疾患のデータ、本人の作文など、ひとりひとりの身の上がしっかりとまとめられている。

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    最年少の子供たち。朝ごはんをしっかり食べていない子も多いので、朝は滋養のあるお粥などを用意しているという。この日は、アーモンドミルクが配られていた。

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    小さな子供の教室を見せてもらった後、最上階にあるホールへ。

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    上階からは、界隈のスラムの様子が一望できる。

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    子供たちによる、歓迎のメッセージ。

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    AGRUTHIのホームで暮らしている身寄りのない苦境に生まれ育った子供たちが、この日、ホールに集められて、わたしたちと過ごすことになった。

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    今回は、子供たちは授業中だということもあり、あくまでもクラスを見学させてもらうだけ、のはずだったのだが、子供たちと言葉を交わして欲しいとのことから、このような状況に。

    メンバーと子供たち、それぞれに自己紹介をする。

    こんなこともあろうかと、折り紙を大量に持参しておいたのが幸いした。子供たちは午前中、わたしたちと一緒に過ごせるというので、折り紙をすることに。

    ちなみに昨今では、たとえ慈善団体であれ、子供の教育には熱心で、訪問する我々が子供の勉強を邪魔してはならない空気が漂っているところが多数。ゆえに、わたしたちが「遊んでもらっている」とも考えられる。

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    メンバーを適当にグループ分けして、子供たちに折り紙を教えることにした。が、男子学生3人、揃って折り紙ができない。彼らも生徒に含まれる。

    子供たちの中には、すでに折り紙ができる子も何人かいて、日本男児が子供らに教わる始末。それはそれで面白いが、海外を目指す若者よ。折り紙の2つ3つは習得しておくべし! 特に鶴!

    それはそうと、子供達から、

    インドの国鳥はクジャクですが、日本は何ですか?

    インドの国花は蓮ですが、日本は何ですか?

    と尋ねられて、誰も確信を持って答えられず。

    日本の国鳥は鶴……? と答えておいたが、なんと……「キジ」だった。英語でPheasant。覚えておこう。と、遠い昔に一度思った気がするが、忘れていたので、再度、覚えなおそう。

    あと、日本の国花は……正式な定義はないようだが、「桜 cherry blossoms」と「菊 chrysanthemum」とされているようだ。

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    折り紙上手な子供たちも数名いて、習得したら隣の子に教えたりもしている。学習能力が高い。

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    折り紙を終えたら、歌と踊りの披露。子供が歌い、大人が歌い、一緒に踊り……と、しばらくは賑やかな時間が続く。

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    高学年の女子が、折り紙でお花を作ってくれた。高度!

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    折り紙ではすっかり出番のなかった男子メンバー。スタッフが「カンナムスタイル」の音楽を流すや否や、ステージ前に登場して、踊り始めた!

    できる男! インド的に!!

    インドにおいては、自分のスマホに「披露できる得意な楽曲」を仕込んでおくのは、結構重要な決め手。慈善団体でさえ、これまで幾度となく記しているが、マイクやスピーカーなど、音響設備が整っている。

    その場で音源を接続し、オンステージ! というのは、極めて実践的である。

    わたしたちも、JAI HO!を踊ったり、HAIL HOLY QUEENを歌ったりと、持ちネタを披露したのだった。

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    散々、遊んだ後は、ランチタイム。子供たちは、件の「世界最大の給食センターであるアクシャヤ・パトラ」から無償で供給されるところのランチを食べている。

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    わたしたちには、スタッフがわざわざ炊き込み御飯と玉ねぎのパコラ(天ぷら風)、サラダなどを用意してくれた。おいしかった。

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    さらには、「子供たちと一緒にアイスクリームを食べてください」と引き止められ、アイスクリームもごちそうになる。

    こうして一緒に食事をするということだけでも、家族の団欒を知らない子供たちにとっては、かけがえのない時間なのかもしれないと、今、こうして書きながら、改めて思う。

    今度は、子供たちに、おやつを焼いて持って行こう。

    【感想01】

    スラムに訪れた第一の感想はどうやって外壁がなく屋根だけが付いてる家で生活しているのか、本当に人が住んでいるのかへの疑問でした。

    またスラム街の一角では巨大なゴルフ施設がありましたが、真横をみれば一面すでに真黒なスラムが存在していて天国と地獄を見ているかのような印象を受けました。

    ですがスラム街の中心部では一つだけスラムとは思えない程清潔で立派な学校が街の中心部に堂々と建設されていたのが異様な光景でした。

    今回訪れたその学校では、親からの虐待、HIVやAIDSを持った孤児からのアクセスから子供達を救済し、リハビリと社会に送り出す目的を主として、全ての子供達においてパーソナルファイル用意し詳細を細かく記載し管理していることに施設のレベルの高さに驚きました。

    水や食事などへの衛生面や言語教育に置いても重点が置かれているようでしたが実際の施設での生活や授業風景が短い時間内で見れなかったのが残念でした。

    今回折り紙で鶴の折り方やダンスを通して子供達と触れ合いました。二言語以上習得している子供がいたのも意外でしたし、すでに折り紙をやったことがある子供がいたのも驚きでした。

    遊んでいるときは本当にスラムという暗いバックグラウンドを抱えているのか分からない程幸せそうで楽しそうな子供達の笑顔が見れたことが私自身への喜びになりました。

    最後に何人かの子供達からまた来て会いに来て欲しいと言われたのが嬉しかったし、自分と関わることで少しでも彼らが喜んでくれているのがわかったのもいい経験になりました。

    今回同行したメンバーの様に子供達の前で持ちネタのダンスを披露できる程積極性がある私ではないですが、次回があれば是非子供達ともっと色々な話がしたいです。(学生)

    【感想02】

    今回も前回に引き続き、参加させてもらいありがとうございます。今回も非日常的な体験をして楽しかったですし、新しい発見もありました。今回訪れた場所の印象は、スラムとは思えないほど清潔感のある建物。元はGovernmentの学校だったとはいえ、衛生的にすべての教室が管理されていて驚きを感じた。

    またそれぞれの生徒のカルテなどがあり、これは日本も顔負けである。 学校の生徒に関しては、家庭に問題がある生徒たちがほとんどにも関わらずそれを一切感じさせない子達ばかりで、それも驚愕でした。

    レクリエーションでは、ツルの折り方を教えるはずが逆に教えてもらうという、ただ恥ずかしいばかり。また、女生徒たちが少し恥ずかしがりながらダンスを披露していて愛らしかったです。

    あと、まさかカンナムスタイルを披露するとは思いもしませんでしたが、子供達が喜んでくれていたので満足でした。

    今回の慈善団体訪問を経て、自分はまだ学生なので支援したり何かを寄付することは出来ないですが、自分にも子供達に喜んでもらえる事をできるんだと実感しました。なので、次回までに、踊りなどの持ちネタを用意しておきます(学生メンバー)

    【感想03】

    本日はこのような機会を設けて頂きありがとうございました。日本で不自由なく生活していると「スラム街」というものが想像し難く、施設を訪問するまでは不安でいっぱいでした。ですが、いざ訪問して施設を覗いて見ると、日本の子供たちと同じように、勉強したり外で遊んだりする姿がありました。

    そんな子供たちの健気でエネルギーに溢れている姿には、こちらもパワーを頂き、癒されました。MUSEのボランティア活動を通じて、観光目的だけでインドを訪れては知ることのできない一面を体験することができ、とても感謝しています。(日本から旅行で訪れた学生)

    【感想04】

    今回初めて参加させていただきました。子供たちと一緒に折り紙をしたりダンスをしたりするうちに、いつの間にか心から楽しんでいる自分がいました。

    ある女の子のカウンセリングの記録の一ページには、「お母さんを助けたい。そして将来は教師になりたい。」という言葉がありました。日本では目にすることのないような過酷な家庭環境で育ちながらも 前を向き、家族をおもい、夢を語る姿が思い浮かび、胸に迫るものがありました。

    今後、この経験を自分の中でどう活かすかを考えていきたいと思います。

    【感想05】

    MEG school 訪問はとてもとても楽しかったです。学校へ行くまでの道とは違い、校舎内は大変きれいに清掃されていて驚きました。小さな子ども達でさえ誰1人走りまわる事なく、キチンと座ってキラキラした瞳で私達を出迎えてくれて感動しました。

    折り紙もみんなとても器用で、紙を切る時もハサミがなかったので折り筋を付けて手で紙を切ったのですが、きれいに慎重に上手に切っていました。

    至れり尽くせりのもてなしに申し訳なさも感じながら、どうしてみんなこんなに笑顔でいられるんだろうと子ども達の背景について考えてしまいました。楽しい楽しいひとときで、大変いい経験ができました。ありがとうございました。

    【感想06】

    3度目の慈善団体訪問となりました。今回は見学だけの心づもりでいたところ、折り紙遊びと歌にダンス、ランチにアイスクリームまでも一緒に楽しませて頂きました。

    施設はスラムに囲まれているにしても、外観も綺麗なレンガ造りで中もきれいな印象、廊下にもカメラが取り付けられているなど、施設はとても整っていると感じました。ドクターだけでなくカウンセラーも配置されているなど手厚い対応に驚きました。我々にもランチやアイスを振舞ってくれて驚きです。生徒さんらはみほさんの問いかけに「イエス!マム!」と声をそろえているのがとても印象的で指導が行き届いているのだなと思いました。

    訪問した施設だけでなく他にもいろいろな活動を手掛けているということで、寄付だけでここまでのことが賄えるものなのかと圧倒されました。

    一緒に遊んでみて、生徒さん達が置かれている状況を思うと胸が苦しくなってしまいますが辛い状況に置かれている子達がこの良い環境のもとで教育を受けられ、のびのびと暮らしていることはとても素晴らしい活動だと思いました。

    【感想07】

    今回、義弟のインド訪問に合わせてどこか慈善団体訪問できないか、という事でお伺いしたところ機会を作ってくださり本当にありがとうございました。

    慈善団体訪問は3回目でしたが、今までで一番濃く、子供達や施設で働く人たちと交流ができた訪問でした。スラムにある学校という事で、一体どのように運営しているのか、生徒たちの様子はどうなのかと心配でしたが、清潔な校舎や整った環境・給食センターから無料で配給される食事を美味しそうに食べている元気な子供達。家庭の事情はあるにしろ、教育の機会を平等に与え、子供の健康のために最善を尽くしているJAGRUTHIは本当にすごいと思いました。

    このような学校を運営していくには、もちろん多くの人の協力がなくてはならないと思います。他の地域の学校状況は分からないですが、JAGRUTHIのように子供達の健康・教育を考えた施設が今後増えていったら良いなと感じました。

    【感想08】

    先日のNew Ark Mission訪問に続き、私にとっては2施設目の慈善団体訪問でした。スラムに足を踏み入れるのは初めての経験でしたが、訪れた学校は清潔感があり、子供たちも綺麗な服を着て、幼児たちが本当にお行儀よく列を乱すことなく、ちょこんと座っている姿が印象的でした。

    どの子供も私達に笑顔を向け、手を振り、挨拶をしてくれ可愛いのなんの。こちらの学校で一番に教える言語はヒンディー語でもカンナダ語でもタミル語でもなく、英語だそうです。見学後、サプライズで子供たちと講堂で一緒に過ごす時間をいただきました。

    子供たちがダンスを披露してくれたのですが、皆笑顔で楽しさが伝わってきました。私も今度のミューズバザールでダンスに初挑戦するので楽しく踊るのが一番だなと教えられました。歌やダンスは国境を超えるのだなと。歌って踊れる主婦になりたいなと思いました♪

    【感想09】

    JAGRUTHIの担う役割の大きさに驚くばかりの訪問でした。スラム街に暮らす子供たちの学校・シェルターとして、また地域の(大人も来られる)診療所としても門戸を開き、さらには病気や就業に関する啓蒙活動も手がけているとのこと。

    子供たちを一時的に救済するだけではなく、同じような子供がこれから少しでも増えないように…と、その場しのぎにとどまらない素晴らしい活動だと思いました。

    そして最も中核となる学校活動では、美穂さんのブログで読んでいた通り生徒一人ひとりの情報が事細かに把握されており、また、生徒の異変の兆候に目を配り先手を打つ体制を構築しているとのことでした。

    私が見た数名の情報だけでも、父親がいない子供、母親にしか収入がない子供、AIDSを発症している子供など…とても胸の痛む記載が目に留まりましたが、一方で、ここまで一人一人と向き合う覚悟を持っている方々が確かにいるのだということに、温かさと心強さを感じました。

    そんな中、自分に今日は何ができるのだろう…と思いましたが、思いがけず子供たちと折り紙やダンスを共にする時間をいただき、たくさんの笑いあえたことがとてもうれしかったです。

    夜には家族に訪問の話をしました。

    すると娘はとても真剣に話を聞き、「お母さんの作っているものを買ってもらえたら、そのお金が学校に届くんだよね。私も作りたい。」と。

    私は、この経験をできるだけ周囲に伝えよう、そして微力ながら自分にできることを継続しよう、と改めて思いました。このような貴重な機会をいただき、ありがとうございました。

    【感想10】

    今回は私にとって2度目の慈善団体の訪問となりました。待ち合わせのホームから学校まで思いがけず皆んなで歩くことになりましたが、衛生状態が悪くスラムの一面を垣間見ることができびっくりしました。ようやく学校に着き(といっても歩いた時間は恐らく5分強なのですが)、スタッフの方々に温かく迎え入れられ学校の説明を受けました。

    子どもたち一人ひとりにファイルがあることは事前に美穂さんのブログで知っていましたが、実際手にして見せて頂くと本当に愛がこもっていて、子どもたちを守るんだという意志を強く感じました。

    次に子どもたちのクラスにお邪魔しました。3から4才くらいの子どもたちのクラスでは70人ほどいるにも関わらず背筋を伸ばして真っ直ぐ整列して座りぐずる子もなく勝手なことをする子もなく、驚かされました。大きな子たちのクラスでも勉強する意欲が伝わってくる良い学校だなと思いました。

    そしていよいよ子どもたちとの交流です。グループに分かれて折り紙をしましたが、皆んな興味津々で、また大きい子たちが小さい子たちの面倒を本当によく見て教えてあげているのが微笑ましかったです。その後ダンス、歌と楽しい時間を一緒に過ごしました。

    正直に言うと、慈善団体の訪問で自分がこんなにも心から楽しめるとは思っていませんでした。最後にランチ、アイスまでご馳走になり、歓迎が身に染みるとともに一主婦の私がこの子たちやこのような団体のためになるようなことが何か出来るのだろうか。。と考えさせられました。

    子どもたちの屈託のない笑顔がわすれられません。こんなにも貴重な体験をさせて頂き有難うございました。是非またご一緒させて頂きたいです。

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    昨日と今日の2日に亘り、パレスグラウンドでイスコン寺院(ISKCON TEMPLE)が主催するクリシュナ聖誕祭の一大イヴェントが開催された。クリシュナ神を祀るイスコン寺院は、何度か拙ブログなどで言及しているところの、世界最大の給食センター「アクシャヤ・パトラ」の母体。そもそも、誰にでも無償で食事を与えてくれる場所でもあった。

    先日、アクシャヤ・パトラの広報担当者とイスコン寺院の若い僧侶が、同イヴェントに来て欲しいとわざわざ招待状を持って拙宅に来訪してくださった。これは行かずにはいられまい、ということで、昨日、足を運んだ。セレモニー、パフォーマンス、物品販売などが賑やかに行われている中、イスコン寺院の創始者であるA・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ(長い!)の足跡を辿るコーナーに見入った。

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    アクシャヤ・パトラを訪れたり、イスコン寺院でパフォーマンスを披露したりと縁があるにもかかわらず、これまで彼のことをきちんと調べなかった自分を反省だ。

    インドは1947年に印パ分離独立したあと、欧米志向のメンタリティが主流となり、インドならではの精神世界、宗教観、スピリチャリティが衰退の一途をたどっていた。スワミ・プラブパーダは、そんな趨勢をして、ヒンドゥ教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の教えをインドで広めるべく活動するも頓挫。

    インドではなく世界に広めようと、1965年、70歳にして初めてニューヨークに飛び、マンハッタンで教えを始めたとのこと。信者はヒッピーを中心に徐々に拡大、ビートルズを始めとするミュージシャンらにも多大な影響を与えた。

    ビートルズ、中でもジョージ・ハリスンは極めて深い信者だった。彼がインドの宗教に帰依していたエピソードは知っていたが、それがこの教団であったとは、知らなかった。スティーブ・ジョブズもまた、信者だった時期があったようだ。

    将来を模索し、経済的な困難に直面していた若かりしころ、「日曜の夜はいつも7マイル歩いてハレ・クリシュナ寺院へ行き、やっとまともな食事をしていた」(2005年のスピーチより)とのこと。信者というよりは、ただ食事を望んでいたのかもしれないが。

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    ISKCON (International Society for Krishna Consciousness)は日本語で「クリシュナ意識国際協会」と呼ばれれている。「ハーレー・クリシュナ!」とマントラを唱えることから、ハレ・クリシュナ教団とも言われている。彼は生前、マンハッタンを基点に、世界各地に108つの寺院を建立。現在は800カ所以上にものぼるという。

    数多くの関連書籍が販売されているなか、スワミ・プラブパーダの編集による「バガヴァッド・ギーター」を、思わず購入。全然、読める気がしないが、とりあえず。

    書きたいことは尽きぬ。ともあれ、お土産にいただいたスイーツ&スナックのおいしさに感動した。

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    ●SAKRAホスピタル駐在員およびミューズ・クリエイションのメンバーとで訪問

    8月18日土曜日、慈善団体のNew Ark Mission ~Home of Hope~を訪問した。個人的には7度目、ミューズ・クリエイションとしては6度目の訪問となる。他の慈善団体に比べると、諸々の衝撃度が高い。ゆえに、回数を重ねてなお、訪問の前に心をよぎる、一抹の億劫な気持ちを拭えない。

    しかし、そういう場所だからこそ、なるたけ多くの人に訪れてもらいたいとも思う。これまでも、ミューズ・クリエイションのメンバーだけでなく、メンバーの伴侶、あるいは短期インターンの学生に同行してきた。

    今回は、参加者20名のうち、約半数が、当地の日系医療機関であるSAKRAホスピタルに勤務される駐在員の方々であった。これほど多くの、同じ企業に勤める日本人駐在員の方々に慈善団体をご案内するのは初めてのことだったので、個人的にはいつもに増して、心に残る訪問となったのだった。

    ●インドでは一定規模の企業を対象に義務付けられているCSR

    在バンガロールの日系企業でも、CSR(Corporate Social Responsibility, 企業の社会的責任)プログラムの一環として、独自で活動をされているところはあるが、決して活発だとは言い難い。

    インドは従来から、財閥をはじめとする企業による社会貢献活動が一般的だ。また、宗教を問わず、個人レベルでの慈善活動も極めて一般的。

    また、欧米をはじめとする外資系企業は、駐在員だけでなく、帯同で赴任している家族にも、慈善活動を促しているところは少なくない。

    インドでは、2014年に新会社法が施行され、企業によるCSR活動が義務化された。対象となるのは、純資産が50億ルピー以上、総売上高が100億ルピー以上、あるいは純利益5,000万ルピー以上という3つの要件のうち、少なくとも1つを充たす企業。

    対象企業は、直近3会計年度の純利益の平均2%以上を、CSR活動に支出することが義務づけられている。

    高度経済成長で物価が高騰する中、貧富の差が縮まるどころか拡大し、貧困にあえぐ人々が無数にいる中、行政に頼るだけではなにも解決しないことは、火を見るよりも明らかだ。

    ゆえに、賛否両論あるにせよ、世界でも初だと言われる「CSR活動の義務化」について、個人的には積極的に施されるべきことだと感じている。

    ミューズ・クリエイションを運営する立場としては、在バンガロールの日系企業の人たちが、たとえ義務化の対象になっていなくても、金銭的なゆとりがないにしても、何らかの形で、地元の慈善団体の状況を見てもらえる機会があればと考え続けている。

    新会社法を遵守すべく義務として、ではなく、この地に住まい、働かせてもらっている立場として、この国のさまざまな側面を知っておくことは、大切なことだと思うのだ。せっかくこの地にいるのだから、メディアの情報の受け売りではなく、自分自身が赴いて、肌身に感じることに意義があるとも考える。

    折に触れて、各方面に声をかけてはいるものの、なかなか実現せず、これまで少数にとどまっているのが現状だ。今回の訪問を経て、改めて、少しでも多くの人を、各種慈善団体にご案内したいとの思いを強くしたのだった。

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    今回は、チーム・エキスパッツのメンバーの一人が、SAKRAホスピタルに駐在する看護師だったこともあり、彼女が周囲に声をかけてくれた結果、実現したことだった。

    訪問先については、過去の訪問記録ブログを見ていただいたうえで、このNew Ark Missionが選ばれたのだった。託児所、HIV罹患者の施設、ホスピス、動物病院、盲学校、聾学校、貧困層子女の無償の学校など、ご案内できるところはたくさんあるが、New Ark Missionは、数ある団体の中で、恒常的に資金が不足しており、なおかつ最も救済を必要としている場所である。

    同時に、「適切な医療行為」が一番、必要とされているところでもある。

    ●同団体については、過去の記録(ブログ)にも詳細を記載している

    オート・リクショーのドライヴァーだったラジャ、通称「オート・ラジャ」と呼ばれる創設者が、このニューアーク・ミッションを立ち上げたのはちょうど20年前。

    自らストリートチルドレンの一人だった彼が、紆余曲折を経て、改心。路上で瀕死状態のホームレスの人々を、拾い上げ、家に連れて帰り、世話をしたのがはじまりだ。彼のこと、そして同団体のことについては、過去の記録に詳細を記しているので、ぜひ目を通していただければと思う。

    【過去の訪問記録】

    ■希望の家。希望ある死。無口な人々の終の住処。(2011年1月)

    ■みなそれぞれに、ハードルを乗り越えて、 希望の家へ。(2013年10月)

    ■その「愛」はどこから? 生と死が渦巻く場所で。(2015年8月) 

    ■身よりなき子らと遊ぶ週末。「端緒」としてのミューズ。(2016年3月)

    ■「希望」とは何だろう。死を待つ人らが暮らす家。(2017年7月)

    ■百聞は一見に如かず。訪れておくべき場所のひとつにて。(2018年3月)

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    到着直後、運営者のラジャに挨拶をした際、「今日は、ドクターやナース、日本の病院で働く人たちが一緒ですよ」と伝えたところ、一瞬で彼が笑顔になり、目を輝かせて「それはすばらしい!」と喜んでくれた。

    「死を待つ人の家」でもある同団体は、治療をするための医療というよりは、痛みを軽減し、死ぬ前に安らかな気持ちで過ごせる場所を提供する側面をも持っている。死の間際に、その人の望む食事を提供し、亡骸を弔う。この日の朝も、2人が亡くなったとのこと。

    救急用品や医療関係の器具などもまた、恒常的に不足しているのだ。

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    参加者は毎回、子供たちと遊ぶ前に、同団体、ラジャの活動を記録した映像を見る。もう何度となく訪れているわたしだが、映像のすべてを正視できた試しがない。

    一方で、今回の参加者はほとんどが、路上に打ち捨てられた人々の、すさまじい姿を直視されていたのに、感じ入った。医療に携わる人たちは、目を背けずに、現実に向き合わねばならないという、当たり前のことが、すごいことだとも思った。

    映像を見るたび、「その状態で、なぜ生きているのか」「その後、なぜ回復できるのか」という思いに駆られてきたが、その後、反省会という名の打ち上げの場@韓国料理店アリランで話したところによると、SAKRAホスピタルの人たちも、その点において、人々の生命力、回復力に対し、同様に感嘆されていたのを知り、やはり尋常ならないのだな、とも思った。

    腹部に36キロもの腫瘍を抱えて生きていた女性が、腫瘍の切除を受けるシーンも映し出されていたのだが(切除後は体重が20キロに!)、キャリアの長い看護師さん曰く、彼女が今まで見た腫瘍で最大は10キロだったとのこと。もっと突っ込んで聞きたいところだったが、なにしろブルコギを焼いて食べつつの会話だったので、ほどほどにとどめておいたのだった。

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    今回、「ホスピタル」と名付けられた保健室も見学させてもらった。

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    SAKRAホスピタルのみなさんに、現状を熱心に説明するラジャ。初めて会った7年前に比べると、彼の英語力は格段に上達していることにも、感じ入る。きちんと教育を受けていない彼が、自分の活動をより多くの人に知ってもらうために、努力しているのであろうことが察せられる。

    初めて会った時には、年齢のわりに屈託なく若く見えると思っていたのだが、彼もすでに50歳となり、年相応の落ち着きと貫禄を漂わせてる。同時に、多くのもの、多くの人々の命を背負っている現実の重みを、ひしひしと感じる。

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    この日は土曜日だったこともあり、寄付を託しに、人々が次々と訪れていた。ここは企業のサポートもさることながら、個々人の支援によって成り立っているのだ。700人を超える人々の、日々の食費をまかなうだけでも莫大な金額となる。その資金集めが困難であることは、想像に難くない。

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    道端に打ち捨てられた人を見れば、一般の人ばかりか、警察までもが、彼に引き取ってくれと連絡をしてくる。いつだったか、彼はチェンナイまで、バイクで人を救いに行っていたことがあった。

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    今は簡素ながらも専用車両(救急車)なども寄付されているようだが、そもそもは、ラジャが一人で、救済していたのだった。

    しかしながら、行政からのサポートは一切ない。経済的な困窮は、恒常的に続いているのだ。

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    顔なじみの女性と。彼女がわたしを覚えているのかどうかは定かではないが、とてもフレンドリーに近寄ってくるのだ。

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    女性棟。かつてはみな、寄付されたのであろう衣服を着ていたが、このごろはお揃いの服をまとっている。このほうが、洗濯などもしやすいのであろう。髪が剃られているのも、聞き損ねたが、衛生上の問題からかもしれない。

    いつもは、このエリア、結構な悪臭(尿など)が漂っていたのだが、今回は匂いがかなり軽減されていた。また、飼い犬らしき、こぎれいな犬が数匹いた。環境は徐々に、よくなっているのだろうと思う。

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    かつては空き地だった場所に、女性棟が建築されている。今後は、1000人以上を住まわせたいと、以前ラジャは語っていたが、その準備は着々と進んでいるようだ。

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    日々、大勢の食事を準備すべく、八百屋のような一隅もある。

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    赤ちゃんだった女の子も、だいぶ大きくなっていた。手足に奇形があるからであろう、彼女は路上に捨てられていたのだ。薬害、もしくは感染症などが原因だったのかもしれない。

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    土曜日の午前中とあって、多くの子供達は登校中だった。午後には下校するので人数が3倍ほどにも膨れ上がる。

    毎回、初めて参加の人が多い中、あまり多すぎない人数の子らと遊ぶのが、目が行き届いていいといえば、いい。

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    最初はちょっと距離感のある大人も子供も、しばらく一緒に遊んでいると打ち解けてくる。

    水を飲ませてもらうのがうれしくてたまらない様子の少年。

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    折に触れて、ミューズ・クリエイション通信などで発信していることなのだが、経験しない「0」と一度経験した「1」の間には無限の距離感があるように思う。たとえ1回でも訪れれば、2度目、3度目以降は、経験と理解を以って、より深みある見地で現状を見つめることができると思うのだ。

    そして、その一つの経験が、周囲にもプラスに波及していけば、それは本当に、意義深い「1」である。

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    今回もまだまだ、書きたいことは募るのであるが、ひとまずはこのへんで止めておく。今回も、参加された方々の「感想」を転載している。わたしにとっては、訪問後、みなさんからの感想に目に通すのがまた、ひとつの楽しみでもある。

    人それぞれに、異なる視点、感じ方があり、なるほどと思わされたり、目頭が熱くなったり、意外さに驚いたりする。感想を読むことによって、訪問回数を重ねてなお、初心を忘れずに、澄んだ目で見つめなければと思わされたりもする。

    感想を拝見して改めて、今回はSAKRAホスピタルのみなさんと一緒に訪問できてよかったと実感した。

    ●参加者からのコメント。ぜひお読みください。

    【感想01】

    今回参加させていただきありがとうございます。貧困層と呼ばれる人達がいる事は皆知っていることですが、実際に自分の目で確認することは日本人にとってあまりない機会ですので、今回は全てにおいて自分は恵まれているんだと思い知らされました。 ラジャさんに見せてもらった映像は聞いていた通りで、想像を絶するもので全て観ることができなかったのは少し不甲斐なかったです。また自分に出来ることをこれからしていきたいと思います。

    【感想02】

    初めての施設訪問で、緊張して門をくぐりましたが、丸刈りになった女性たちは笑顔で握手を求めて出迎えてくれました。

    いちばん心配だった紹介映像は、ウジがわいた背中や、ぱっくり大きく穴の開いた顔だったり。また壊死した人の足をラジャさんがのこぎりで切り落とした話なども衝撃でしたが、手を差し伸べて治療すれば、傷が癒えて生きていくことができるんだという事実、生命の強さの方が、私には印象に残りました。

    子供たちの中には、顔に大きなコブのある少女や、ずっとヨダレをたれ流して焦点の定まらない子や、心身ともに障害のある子もいましたが、どの子も遊びに喜んでくれました。

    クレヨンを箱にしまう片付けを遊びと思っている子、日本語で「上手だね」「それでいいの?」と私が言うのを上手に口真似する子、ぬり絵のなぜか絵の外側ばかり塗る子。彼らと一緒に遊んで、生命力を分けてもらいました。

    自分のオートリキシャで目の前で倒れている人を運んだのが原点、というラジャさんの「人は寺院や教会には寄付をするのに」「ここでは毎日700人分の食事を出す」という言葉の現実味がとても重かったです。

    インドの友人にも知ってもらい、少しでもHome of Hopeの力になり、今日たくさんの尊いものを見せていただいたお返しができればと思います。

    【感想03】

    ・今回で4回めの参加。

    ・Rajaさん自らがオフィスでの挨拶、ビデオ鑑賞、質疑応答と医療施設案内までしてくれたのは初めてで、Sakra病院からの訪問を歓迎する彼の姿勢が表れていたように思った。

    ・一か月に必要な経費や、運転資金が尽きてRaja個人の預金でまかなった話など、興味深くも胸が痛む話を聞くことができた。

    ・女性棟が建設中。頓挫せずに進めることだけでも一苦労だろうと思う。進行していることに感心した。

    ・クリニックの中も見学。低賃金で通ってくれているという若いスタッフらに会い、学校の保健室よりもずっと簡素な施設を見せてもらった。よい経験だった。

    ・就学児は学校に行っており、主に幼児や障害の重い子どもと手厚く遊んだ。子どもたちは大人の注意を引き、独り占めするのが何よりも嬉しい様子。少しでも気分転換になったのではないか。

    ・一人では見学に訪れる行動力すらないが、Muse Creationに所属しているおかげで慈善団体を訪問できる。そして複数の人数で訪れることにより、彼らを楽しませるという貢献ができるのは本当に有難いと実感した。

    ・今回Sakra Hospitalの皆さんに参加してもらえたのは意義深かった。Muse Creationの、メンバー以外にも門戸を広げる懐の広さや、サッと慈善団体の訪問を実行できる機動力の高さが功を奏したと感じた。誇るべきことだと思った。

    【感想04】

    はじめに見せてもらったのは、路上で息も絶え絶えの人達を抱えて連れて帰り手当てをしている活動の映像でした。頰の皮膚も頬骨もなく鼻腔が見えるほど顔が陥没している人を見て、人間ってこんな状態でも生きられるんだなと思ったし、映画”火垂るの墓”でしか見たことがないような、背中に大量のウジ虫が湧いたおばあさんが、手当て後キレイな背中に回復していたり、人間の治癒力や生きる力の凄まじさを感じました。

    日本だったらそんな状態になったら生きる気力さえ失い自ら命を絶つ人が多いのではないか、でもここインドでは、そこに意志があるかは本人にしかわからないけれど、それでも生き続けている人がたくさんいる。しかもそれは遠いどこか知らない国のテレビの中の話ではなく、今目の前で起こっていることなんだと思ったら涙が止まりませんでした。それは悲しみではなく、ラジャやラジャの活動を受け入れた家族の深い愛や、生きるという事や生かすという、今まで感じた事のない命の尊さを感じたからだったように思います。

    私は以前製薬会社で働いていたので、一般的な人よりは健康や命と向き合う時間が多かったと思いますが、今まで以上に触れたことのない価値観を今回手にした気がします。反省会という名の打ち上げでは、久しぶりに医療関係者の方々とお話できたのも私にとってプライスレスな時間でした。美穂さん、SAKURA HOSPITALの皆さん、参加の皆さんありがとうございました。

    【感想05】

    今回が二度目の訪問で、前回よりは身構えることなく参加できました。初めて施設内のクリニックを見学しましたが、あまりの簡素な設備に驚きました。「死を待つ人の家」という施設の持つ意味を考えると当然なのかもしれませんが。

    子供たちは今回も変わらず元気で、人見知りもせずわいわい遊んでいました。前回は魚釣りゲームが人気でしたが、今回は、新しく持って行ったクリケットやラケットボールに人気が集まっていたようでした。

    前回に比べると人数が少なかったように思いましたが、今年度から学校に通い始めた子たちが多かったのでしょうか?(大きい子たちは学校に行っている時間だったので)ふと、学校を出た子供たちはどんな風に生きていっているのだろう? と思いました。仕事を見つけ住む場所を見つけて生きているのか、それとも…?

    【感想06】

    改めて、貴重な機会を戴き有難う御座いました。これまでの訪問記を通読しつつ、「それなりに」心の準備をして行った積りでしたが、想像を超える強烈な体験となったこともあり、気持ちを整理するのに若干時間が掛かりました。

    HOHはインドのダークサイドが凝縮された場所であると思いますが、それと同時に、その最も深い闇にこんなにも力強い光が満ちていることに、非常に深い感銘を受けました。そして何よりも、なぜラジャはこれ程までに崇高な使命感を持ち、そしてそれを持ち続けることが出来るのか。同氏がいみじくも言った「私はただ人の役に立って天国に行きたいだけ」というのは、ヒンズーの根源的な発想であるとは理解しつつも、それでも何故ここまでやることが出来るのか、その身体からほとばしる情熱にただ打ちのめされました。

    国家の経済的成長の常として、貧富の格差が拡がっていく現実を、日本を含め先進諸国は目撃してきた訳ですが、結果としてインドも恐らくその轍を敢えて踏んでいくことになるのだと思います。しかしながら、その過程において是非インドは独自のモデルを創り、それを世界に示していって欲しいと切に願います。

    今回の体験を経て、改めてこの愛すべきインドという摩訶不思議な国からパワーを注入してもらえた気がしました。

    HOHで暮らす全ての方々の心安らかな最期と、天真爛漫な子供たちの幸せを心からお祈りして、感想文に替えさせて戴きたいと思います。彼ら・彼女らのお蔭で、もっともっと人に優しくなりたいと思うことが出来たのも自分としては大きな収穫となった気がします。ありがとうございました。

    【感想07】SAKRA HOSPITAL

    この度、初めてインドの慈善団体施設の見学をさせていただいた。このような機会を与えてくださったことにまず感謝したい。

    最初にラジャさんのこれまでの活動の様子を映像で拝見し、ラジャさんの並々ならぬ強い意志を感じた。医療的な処置の必要な方々に積極的にケアを施すラジャさんの判断力と行動力に圧倒されながら、ふと、色々な規制の中で、できないことを理由に手を出そうとしないでいる医療従事者である今の自分を重ね合わせたりした。

    説明のあと、施設の子供たちと遊具を使って遊んだが、一人ひとりの背景を考えながら、接している自分がいて、今の一時の関わりに申し訳なさを感じたりしていた。このことを単に子供たちと遊んだことの自己満足感だけで終わらせてはいけないのではないか。と。いろいろな意味で考えさせられた。

    坂田さんが言われるように「0」と「1」の間の「1」の意味は、体験としてとても重要なことである。一人でも多くの方々に「1」を体験してもらい、たとえそれが「1」でしかなくとも、他の人達との「1」の連鎖が「2」「3」「4」「5」……と繋がって、継続という形に変わっていく。継続していくことが大切なことだから。

    30年前に南米の地でボランティア活動を行ったその時の思いがまた蘇ってきた感じがする。自分ができること、考えてみたい。ありがとうございました。

    【感想08】SAKRA HOSPITAL

    訪問を終え強く感じたことは二つ、ひとの生命力・精神力の強さと、途上国で医療に携わることの意味です。

    屈託ない笑顔で握手しに来てくれる女性、無邪気に遊び、必死でお菓子やヤクルトに手を伸ばす子どもたちには皆それぞれの背景があり、我々よりも遥かに強く生きているし、「生き、暮らせること」の重みを知っていると実感しました。

    同時に、彼らと一緒に生活するラジャさんの姿を見て、人を助けるのに理屈も、実際のところ特別な知識も経験もいらないし、では私がこれまで使命と思いしてきた仕事はこの国で意義を成すのか?単なるきれいごとなのでは?とも正直自分に問いました。それでもまずは知ること、伝えること、そして考えること、を諦めずに続けていかなければいけないと思いました。

    【感想09】SAKRA HOSPITAL

    正直言って訪問前は、このような施設を訪れることには非常に抵抗がありました。また、最初に見せて頂いた映像には、目を背けたくなるような場面も多く、とんでもない所に来てしまったと感じました(過去の訪問時の記録も読んでいましたが・・・)。

    その後、あまり反応がなかったり表情がない子たちと一緒に遊んでいるうちに、反応してくれたり笑ってくれたりするようになると、生まれ育った環境が違うだけでどの子も一緒なんだなと思うようになりました。

    このような機会に参加させて頂きありがとうございます。インドの経済成長の側面だけがクローズアップされて、社会の歪みはますます大きくなって来ると思います。何が出来るのかを考え、自分なりに実行して行きたいと思います。

    【感想10】SAKRA HOSPITAL

    訪問時の衝撃は表現し難い体験であった。殆ど誰もが眼をつぶり見過ごす路上の命。救いの手を差し伸べない理由を探し、幾人かは少額を渡す。それが一般であろう。

    一方、自らを極度に追い込む事を知りつつ何故Mr.Rajaはこのエンドレスの事業を始めたのか。自らは神のservantと言う事から宗教信義が精神基盤にあるのは間違いない。そうだとしてもここまでの自己犠牲を強い真っ正面から救いに行く精神強度に驚くのと同時に自己を恥じる。

    まずは医療機関として出来る貢献を行いたい。

    【感想11】SAKRA HOSPITAL

    率直に強烈でしたが、生死を路上でさまよう人を助け、Dignity of Lifeを実現するAuto Rajaの意志の強さに敬服するとともに、我々医療機関としてできる事、個人としてできる事を目一杯考え実行したいと思います。

    私は24年前にインドに初めて旅行した際、当時カルカッタのハウラー橋で、何十人も足を切られた上半身のみの子供達がスケートボードに乗って“バクシーシ”とせがんでくる、お金をあげた同じ子供が10秒後にまたやってくる強烈なイメージが頭から離れず、二度とインドには行きたくないと真剣に思っていました。

    従い、少し葛藤もありましたが、社命としてこの地に赴任して2年半、今回の訪問でカルカッタのあのシーンが蘇ってきて、訪問前半は正直逃げ出したくもなりましたが、子供たちと遊び、水を飲ませてあげたり、抱っこして“高い高い”をやってあげると、子供たちが人懐っこく、目がキラキラと変わるのを見て、この子たちは本当に人の優しさ・愛情にに飢えているのが分り、また足を運び彼らを抱きしめてあげたい、そういう気持ちに今は変わっています。

    我々の親会社直轄の現地法人、関連会社でも日本人がたくさんいますので、話を伝えてみます。アレンジありがとうございました。

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    8月3日、ミューズ・クリエイションのメンバーとともに、YASKAWA Indiaの工場を訪問した。その際の記録を残しておきたい。

    ●安川電機とは

    YASKAWA Indiaの母体である安川電機は、1915年、福岡県北九州で創業以来、百年以上に亘り、電動機や産業用ロボット、インバータなど、エレクトロニクス、メカトロニクス関連の製品を数多く生み出してきた。

    機械装置(メカニズム)と電子工学(エレクトロニクス)を合わせた和製英語であるところの「メカトロニクス」という言葉は、1969年に安川電機によって出願された言葉だという。

    安川電機は現在、欧米、アジア、アフリカなど、世界二十数カ国に拠点を持っている。

    インドの現地法人であるYASKAWA INDIAは2010年に創業された。しかし安川電機がインドとのビジネスを開始したのは、そこから遡ること30年の1980年。当初は、炭鉱の鉱山で用いられる機器、PLCの販売などを手がけていた。

    YASKAWA INDIAの本拠地であるバンガロールでは、インバータの製造、販売、サーヴィスや研究開発などが行われている。一方、デリーの衛星都市グルガオンでは、ロボットの販売、サーヴィスなどが行われている。このほか、チェンナイやムンバイ、プネなどの都市にも販売拠点を構えている。

    ●工場見学の経緯

    YASKAWA INDIAの現CEOである浦川明典氏に初めてお会いしたのは、ご夫妻がバンガロールに赴任されたばかりの、今からちょうど5年前の2013年8月。拙宅で実施したミューズ・リンクスのインドライフスタイルセミナーにご夫婦で参加していただいたときだった。その後、奥様はミューズ・クリエイションのメンバーになられた。

    それまで、YASKAWA INDIAの業務内容については知る由のなかったわたしが、工場を見学させてほしいという思いに駆られたのは、2015年に、やはりミューズ・クリエイションのメンバーと共にインド最大のジュエリー会社、TANISHQ(タタ・グループ)の工場見学をしたときだった。

    同社は経営難から起死回生した経緯を持つのだが、その背景に日本の工場管理システムの導入があるなど、インドの伝統的な家内制手工業に端を発した企業ながらも、日本的な作業工程が散見された。

    ジュエリー工場では、ゴールドや貴石など、小さくて高価なものを使用することから、その管理の徹底が望まれるが、パーツを確実にピックアップする作業を猛烈なスピードで行っていたのが、安川電機の産業用ロボットであった。

    工場見学には浦川夫人も参加されており、機械の写真を撮って欲しいと頼まれたのだが、働き者なロボットの動きが早すぎて、YASKAWAの文字を捉えることができなかったほどである。そのロボットを見たときに、安川電機に対する関心が高まったのだった。

    浦川氏からは、工場見学に関していつでもどうぞと快諾していただいていたなか、同社のビジネスに関心を持つミューズ・クリエイションのメンバーの一人が、工場見学の幹事を申し出てくれたことから、今回、実現の運びとなった。

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    ●バンガロール市街南部のエレクトロニック・シティへ。

    YASKAWA INDIAはバンガロール市街北部、IT企業のインフォシスなどが拠点を置くエレクトロニック・シティの一隅にあった。個人的にあまり訪れないエリアで、今回も数年ぶりに走る道路だ。かつてなかったビルディングが随所に林立する様子を眺めながら、ハイウェイを南下する。

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    ●まずは社員食堂でのランチ

    参加メンバーとは正午に現地集合。社員の方に、まずは社員食堂へと案内していただき、ランチをごちそうになる。この日は、バンガロール拠点の茶道グループが見学およびお点前の披露で来訪されており、ミューズ・クリエイションとは合同訪問という賑やかな状況であった。

    ランチは種類も豊富に、家庭料理のような味付けでとてもおいしい。平均的な日本人にとっては少々辛いと思われるが、現地の社員にとっては、ほどよいスパイスであるに違いない。

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    ●安川電機の沿革を知る

    ランチのあとは、会議室でのプレゼンテーション。安川電機百周年記念の映像を見ながら、同社の歴史をたどる。

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    中でも感銘を受けた映像が、「YASKAWA BUSHIDO PROJECT」。数多くの世界記録を有する居合術家・町井勲氏の剣技を、安川電機が生み出した産業用ロボット「MOTOMAN-MH24」が忠実に再現する様子が捉えられている。

    しなやかで正確な動き、ロボットでありながらも、武士道を心得ているかのような丁寧な動きには、身を乗り出して見入ってしまうほど。豆が切られるシーンなどはもう、思わず感嘆の声を上げてしまった。人間は汗だくになり、息を切らしているというのに、疲れ知らずでお辞儀をするロボットが、なにやら憎らしく思えるほどだ。

    同動画はYOUTUBE上でも公開されていたので、シェアしたい。本当に、見入ってしまうクールな動画だ。

    映像鑑賞のあとは、YASKAWA INDIAの沿革について、浦川氏自らのご説明を受ける。創設の背景や企業の概要、売り上げの推移、プロダクツの紹介、取引先、研究開発の様子など。CSR(企業の社会的責任)についても積極的に実施されていることが見て取れた。

    なお、インドでは、2014年4月にインド新会社法が改正されたのを受け、売上高が100億ルピーを超える大企業は、純利益の2%をCSR活動に支出するよう義務付けられている。

    プレゼンテーションのあとの質疑応答では、浦川氏にお尋ねしたいことがあれこれと募った。中でも感銘を受けたエピソードを残しておく。

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    浦川氏が就任した2013年当時、同社は巨額の負債(具体的な数字はここでは記さない)を抱えていた。それを2015年には回収、徐々に黒字にと転じて現在に至る。どのような改革がなされたのかが気になるところ。その背景を尋ねたところ、

    ◎商品の値上げ
    ◎販売代理店を変更(代理店の取捨選択)

    という答えが返ってきた。こうして記せば、あたかもシンプルに思えるが、これらを実現することがどれほど困難かは、推して知るべしだ。

    まず、商品の値段を上げるというのは、価格に対して極めてシビアなインド市場において、敬遠される可能性が大いにある。値段を上げる際には、もちろん競合の実態など諸々を調査した上で設定されたものであろうが、そこで決め手となったのは「信頼性」だという。同社の商品は他社製品に比べ「カタログ記載の保証値に対して実力値がベターでそのマージンが大きい」という、そもそもからの長所があることも、受け入れられる条件となったようだ。

    詳細を記すと尽きないので、その点は割愛するが、販売代理店の経路を刷新するというのもまた、ドラスティックな改革だったと察せられる。

    また、浦川氏が行った改革で印象的なエピソードを上げておく。

    ◎本社を3年がかりで説得し、2017年にインド人をCOOに就任させた。
    ◎同社のインド人社員は、3年以内に辞める人が1%未満。

    インド企業において、辞める人がこれほど少ないのは極めて珍しい例だと思う。福利厚生、待遇の充実がなせる技だろう。職場環境が快適であるのはもちろんのこと、専用バスによる送迎、社員旅行の充実、おいしいランチの提供など、人が離れがたくなる環境づくりが整っている。

    ●インバータ製造の工場を見学

    工場内の写真は掲載できないが、極めて整然と、システマティックでクリーンな環境のもと、インバータの製造が行われていた。そこはまた、TANISHQのジュエリー工場内部と、驚くほどよく似ていた。

    日本では行程の多くが機械化されているところもあるようだが、そもそも人手は多く、雇用機会を創出すべきインドにおいては、人間が労働する場所を提供する必要がある。

    同社ではグルガオンで産業ロボットを販売しているが、これらも「人件費を削減する」、即ち「人間の仕事を奪う」存在としてのロボットを提供しているのとは、少し異なる。

    これまでも折に触れて記しているが、多くの労働者人口を抱えるインドでは、人件費を削減することを目的とするモノは歓迎されない傾向にある。

    それは多分、インドが英国統治から独立する以前、マハトマ・ガンディが「スワデシ(国産品愛用)・スワラジ(自主独立)」を提唱した百年以上前に遡る。

    彼が、英国で量産される機会製品のボイコットを叫びつつ、自分たちの衣類は、自分たちで紡ぎ織ろうと叫び、手紡ぎ手織りの衣類(カーディ)を身にまとっていたころからの精神世界が未だに息づいているとも言える。

    浦川氏も言及されていたが、ゆえに産業ロボットが活躍するのは、TANISHQに見られるような、紛失する可能性が高い宝石の仕分け、決して間違いが許されない薬品、あるいは人体に悪影響を与える塗装や溶接の仕事などが焦点となっているようである。

    説明される話の一つ一つに、深く頷かずにはいられない。

    なお、工場見学の模様については、以下、参加メンバーからの感想文に詳しいので、わたしは言及しない。

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    ●視界を広く観察し、方向付け、決定、実行!

    YASKAWA INDIAの工場見学を終え、感慨深く帰路につく。一旦自宅へ戻ったあと、その夜は昨年発足された「バンガロール九州・沖縄県人会」へ参加すべく、会場となる飲食店へ赴いた。

    浦川氏はまた、同会の発起人でもあり、この夜も参席されていた。工場見学の余韻さめやらぬまま、お話の続きをしたく、浦川氏の向かいの席に座る。

    インドという、日本企業にとってはかなり難易度の高い国において、進出後の明暗をわけるのは、トップに立つ人間一人の判断力が、相当に影響するということは、少なからず感じてきたことである。

    無論、インドにおいてだけではなく、どの世界、どの業界においても、そうなのであろうが……。リーダーシップに王道はなく、置かれている状況によって、ふさわしいストラテジーがあるだろう。

    いずれにしても、それが効果的に発揮され、業績・成果を上げるに至らせるにあたっての、決断力、実行力、説得力の強さについて、思いを馳せずにはいられない。

    YASKAWA INDIAの再建にまつわるストーリーを、淡々と語る浦川氏だったが、この席でお聞きした話の一つもまた興味深かった。

    わたしは知らなかったのだが、生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つとして、PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act cycle)というのは、よく知られるところらしい。

    浦川氏はしかし、一連の改革をPDCAでなくOODAという手法を使ったと説明された。

    1951年の朝鮮戦争で性能の劣る米国の戦闘機が、高性能のロシア機ミグに勝利した理由のひとつが、視界の広さであったことというエピソードを話されたのが、心に残った。

    なにしろ飲み会の席でもあり、そこまで詳細を記憶できなかったのだが、帰宅後、ネットで検索してみたところ、極めて面白い記事に遭遇した。


    ★なぜF86は高性能のミグ15に勝利できたのか?
     (←CLICK!)

    OODA=「観察(Observe)・方向付け(Orient)・決心(Decide)・実行(Act)」

    個人的に、この考え方は、極めて興味深い。興味深く膝を打つ内容だったので、敢えてここでもシェアをする次第だ。

    ビジネスの現場においては、さまざまストラテジー、方法論があることだろう。どの方法が、どの現場で最適か、ということは、一概に言い切れない無数の条件があるだろう。

    特に文化も習慣も異なる異郷の地においては、日本国内でよしとされるストラテジーが通用しないということは、火を見るより明らかだ。その点を心得て現場をしっかりと観察し、現場に即した方向性を定め、本社を説得し、実行に移す。

    会社の規模の大小に関わらず、従来とは異なる決断を下すことはたいへんなことだろう。

    この記事にもあるが、

    ・事前の計画よりも、事後的な臨機応変に重点を置く
    ・OODAのはじまりを自分ではなく、相手の観察におく
    ・トップダウンではなく、現場パイロットを中心におく

    という3つの発想の転換を見るだけでも、これが異文化の地において、かなり有効なストラテジーであることが察せられる。

    ……と書くは易し。臨機応変な判断をするためには、訓練を積み、経験値を備えておくことが条件でもある。誰もが閃く「直感」ではなく、しかるべき資質と経験を持ち合わせた人間から沸き起こる直感だ。

    「直感」というと、日本語のニュアンスでは場当たり的な印象をも与えるが、そうではない。そこには「観察」によって得た情報とその分析も包摂されている。

    前述のTANISHQの工場もまた、廃業寸前の極めてシビアな状況の中、起死回生でインド最大のジュエリー会社になった背景を持つ。工場見学の記録には、そのプロセスに関するプレゼンテーションの記録を詳細に至るまで記しているので、最下部のリンクから、ぜひご覧いただければと思う。

    ★ ★ ★

    今回もまた、非常に有意義な経験をさせていただいた。

    浦川氏をはじめ、見学をサポートしてくださったスタッフのみなさんに心より感謝したい。

    ミューズ・クリエイションのチームエキスパッツでは、昨年3月の第1回ビジネス勉強会に続き、来月9月中旬にも第2回ビジネス勉強会を実施する予定だ。

    当地で健闘している企業トップのお話を聞けるのは、本当に稀有でありがたい機会だと思う。ご多忙の身の上にも関わらず、快く引き受けてくださる方々に感謝しつつ、少しでも多くの方に、示唆に富んだ経験談を届けられればと願う。

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    ●参加メンバーからの感想

    【感想01】今日は初めてElectronic Cityを訪れました。そしてこれもまた縁遠かった「インバータ」の世界。浦川CEO自ら安川インドの事業内容からご自身の経験談まで多岐に渡ってお話くださり、大変勉強になりました。インバータ製造工場の中は整然としていて工程のひとつひとつがきちんと管理してあり、社員の方には当たり前の事なのでしょうが初見の自分にとっては全てが新鮮でした。同時にいわゆる「日本品質」を海外で展開することの大変さを学ばせていただきました。また企業訪問の機会があれば是非参加したいです。

    【感想02】美味しい社食ランチ、会社説明のあと実際の製造工程を見学しました。そこには品質向上のためのあらゆる仕組みがありました。使う部品を間違えないようにICカードで管理したり、作業員がやるべきことをモニターに表示したり、間違えようがないようにすることで不良率の低さを維持できていることが分かりました。日本のものづくり精神をインド人社員の皆さんも共有できているように感じました。社内がとても和やかな雰囲気で、離職率が低いのも納得です。日本の技術をmade in India でさらに広めていっていただきたいと思います。

    【感想03】私はバンガロールに移住する前は電機メーカーに勤務していたため、安川電機様の事業内容や工場の様子に親しみを感じながら見学させていただきました。本日の説明の中でお聞きしたインドにおけるビジネスの苦労話は、安川電機様だけでなく私の夫が苦労していることでもあると思いました。家ではあまり仕事の話はしないため、夫の苦労を知ることができた点でも本日の見学は大変有意義な時間でした。

    【感想04】主人の会社は人が辞めてしまうというのが悩みの一つと聞いていたのですが、YASKAWA INDIAさんでは、社食や社員旅行などの福利厚生を手厚くされており、そこはインドだからと特別なことはなく、日本の企業と変わらない工夫なのだなと感じました。工場見学では、ラインの細部まで見せていただき、人的ミスが起こらないようネジ1本から全てシステムで管理されていたのには驚きでした。教育に手間や時間をかけずとも、新人でもすぐに現場に入り即戦力になれるよう作業工程が表示される仕組みになっているのも効率化が徹底されているなと感じました。私でも明日からすぐに働けそうなくらい全てがシステム化されていたし、空調も効いた室内での作業で、やはり労働環境の良さも離職率の低下に繋がっているんだろうと思いました。

    【感想05】今回初めてインドにある工場を見学しました。工場内の作業行程は日本方式をそのまま導入しており、従業員の方たちも余計なことは一切話さず黙々と仕事をされていたのが印象的でした。安川さんのロボットがタニーシュクのジュエリー工場で使われているとのことでしたので、もし機会があったら次はそれを見に行きたいです。

    【感想06】特別知りたい質問事項も見つからないままでしたが、何か発見があればと思い見学をさせてもらいました。日本で働いていた時は会社のお金のことは遠い話の感じがしていましたが、安川電機さんでお話を聞いて、やり方次第で大きなお金が動くということを認識しました。社長ではなくても、駐在員として働くということはそういった聞いたことのないお金のことを考えなくてはならず、これまでとは違った知識がたくさん必要になると感じました。細かい難しいことは正直わからないところもありましたが、普段知ることのない会社の事情が知れてとても嬉しかったです。工場のラインは部品の間違いや組み立てミスのないようにコンピュータ管理が行き届き、品質への信頼が高いだけでなく、作業員も無理なく(あれもこれも自分で覚えてということがなく)仕事に就けるいい環境だと感じました。貴重な経験をありがとうございました。

    【感想07】・強く印象に残った点が2つ。1つめは、浦川社長が5年間で利益を確実に上げる仕組みを作りだしたという点。プレゼン及び質疑応答の際に、代理店を見直してマージンを拡大したという話があり、同社のように大きな会社でもリーダーのやり方一つで画期的な収益拡大があるという点に深く感銘を受けた。2つめは、社員がどの部門でも誇らしげに働いている様子。工場長、ラインのスタッフ、ロボットデモを行った男性、コーポレートオフィスのスタッフ皆さんの目の輝きとポジティブな様子に感動した。離職率が極端に低いという浦川社長の談話を裏付けているものだった。
    ・カフェテリアの食事がとても美味しかった。レストランのようにこってりしていないシンプルなインド料理は、食べ飽きないものだと改めて思った。フライドライスがあるのも良かった。インドにおいては、大企業の多くが社員に格安で食事を提供しており、大切な福利厚生の一環になっていると聞く。大きく共感した。
    ・お茶(大神杜中)のメンバーの皆さんが、見学後に茶道体験講座を行い、同社の社員100名ほどが参加して大盛況だった。見学させてもらうだけでなく、その恩を形にしてギブバックされた点、そして見事に成功した点は素晴らしい。Muse Cerationのメンバーも複数名、茶道で参加して活躍されており、誇らしかった。

    ◆TANISHQ ジュエリー工場見学。改革の現場をつぶさに体験

    この工場見学の写真は、先方から工場内部の一部を大っぴらに公開するのは控えて欲しいとのことだったので、検索エンジンなどにかからないよう、限定公開のサイトとしています。下記のURLにアクセスし、必要事項を入力してご覧ください。

    http://museindia.typepad.jp/onlymuse/

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    パスワード:india

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    今日はミューズ・クリエイションの6周年記念ランチパーティ。

    いつものように、参加者が料理を持ち寄るポットラック形式で、テーブルはにぎやかに彩られた。

    いつものように、よく食べ、よく飲み、よく語り、おいしくて楽しい時間。

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    毎年書いていることだが、始めた当初は、こんなに長い歳月、続くことを想像していなかった。創設時のメンバーはすでにおらず、メンバーの入れ替わりが著しいながらも続けてこられたのは、絶えることなく賛同者が参加してくれるからにほかならない。

    ミューズ・クリエイションの活動に関心を持ち、前向きに関わり、有意義な時間を共に育もうとする人たちが、循環するように、ここへ集まる。

    「いい気」が集まる、ここは本当に、恵まれた場所だなと、思う。

    人が人を呼びながら、これからも、細く長く、いや、太く長く、続くのだろう。

    ミューズ・クリエイション6周年、おめでとう。

    ミューズ・クリエイションに関わってきた200人のみなさん、ありがとう。

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    デザートなど、うっかり何枚かの写真を撮り損ねてしまったが、このほかにもまだ、おいしい料理がたくさん持ち寄られたのだった。

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    ミューズ・クリエイション創設6周年が過ぎ、7年目に入った。活動内容は、踏襲するもの、新しいもの、そのときどきのメンバーの意向に合わせながら、なだらかに紆余曲折、続けている。

    個人的には、地域社会に目を向けるという当初の目的よりも、日本人コミュニティに対する貢献度のほうが高くなっているのが事実。今後の自分自身の有り様を思うとき、ローカルの現状を見つめ、書き手、語り手としてレポートするという初心を忘れたくはないという思いが、沸き上がった。

    思えば、ミューズ・クリエイション設立以前、一人で活動していた時のほうが、ムンバイとバンガロールとの二都市生活をしていたにもかかわらず、慈善団体訪問の頻度は高かった。一人の場合は、他の人々と予定を調整する必要がないので、即行動に移せる。

    前日の夕方、9月に開催するミューズ・チャリティバザールの会場を検討していたとき、ふと、我が家の近所にある慈善団体で、以前から気になっていたところを思い出した。

    以前、OWC (Overseas Women’s Club)の支援する慈善団体の紹介イヴェントで、何度か担当者と言葉を交わしたことのあるJAGRUTHIというNGOだ。その団体が運営する学校に、ステージ付きのホールがあるので、自由に使ってくださいと言われていたことを思い出したのだ。

    その場所も、できれば見せてもらいたい。早速、問い合わせの電話を入れたところ、「明日の午前中どうぞ」とのこと。

    当日はSTUDIO MUSEの活動日だったが、朝組メンバーは一時帰国の人が多数でお休み。さあらば、朝、出かけようと早速、赴いたのだった。

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    我が家から車でわずか5分。同じコックスタウンの一隅に、JAGRUTHIのオフィス、そして46人の子供達がともに暮らす建物はあった。

    JAGRUTHIのミッションは、スラムに暮らす貧しい子供たちの救済。中でも、風俗産業に従事する母親、即ち娼婦(売春婦)の元に生まれ、虐げられた環境に置かれている子供たちの救済だ。

    具体的な活動内容としては、

    ●街中から、HIVほか性病に感染した子供たちを見つけ、医療措置を施す
    ●娼婦の子供たちのための孤児院、施設の運営。医療や教育の提供
    ●スラムにある無償の学校の運営
    ●HIVや性病に関する啓蒙のレクチャー
    ●貧困層の女性たちへの職業訓練

    などが挙げられる。

    バンガロール。人口の約3割がスラム居住者だ。ムンバイやコルカタなどのように特定の「赤線」、すなわち風俗街というのは、この街にないのだが、風俗営業を行う裏社会の個人、組織は、当然のごとく存在する。かたまらず、散らばっている。

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    中央の女性が創始者のレヌ。1995年に同団体を創設して以来、活動を続けている。右側の男性カナンは、主要なスタッフの一人として、OWCのイヴェントにも参加していた。

    わたしはこれまで、バンガロールにあるHIVに罹患した人々をケアする施設や、子供たちのホームや学校など、複数の団体を訪問しており、それなりの予備知識は備えているつもりだった。

    しかし、レヌから聞く現実の一端はまた衝撃的で、闇の深さを思い知る。自分の知っている現実は、氷山の一角に過ぎないのだということを痛感させられる。

    娼婦を母親に持つ子供たちの多くが、遺伝的なHIV罹患者。政府やさまざまな団体が、対策を講じている。しかし、焼け石に水の状態。その数は増え続けている。

    病気をもった娼婦を買う人は、貧困層に限らず、富裕層にも及ぶ。適切な治療を受けていない人、避妊を怠る人たちは、HIVに感染し、罹患者をどんどん増やしている。

    レヌ曰く「わたしたちは、爆弾の上に座っているような状況です」。

    一言では書きつくせぬ、新しくも衝撃的な事実が次々と。そしていつものように思う。社会のために身を賭す人々の存在の偉大さ。

    ともあれ、この日は簡単に挨拶をして、今後、ミューズ・クリエイションのメンバーとともに来訪するための、いわば「下見」のつもりだった。しかし、結果的には施設のすべてをじっくりと案内してもらったのだった。

    このビルディングには、46人の子供たち(大半が女児)が暮している。子供たちはここで生活をしながら、ここからJAGRUTHIが運営する学校に通っている。

    46人中、40人がHIV罹患者。性的虐待を受けていた子供たちもいるという。この日、薄暗い部屋の隅っこで、一人の少女が勉強をしていた。体調が悪くて学校を休んでいるのだという。

    細い体躯。力ない表情ながらも、ノートに目を落としている姿に、心が傷む。

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    このトイレは、OWCのメンバーである女性とその伴侶が、私費を投じて建設してくれたのだという。

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    子供たちの暮らす部屋は、きれいに整頓されている。

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    こちらは台所。

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    什器類もきれいに整頓されている。

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    南インドの典型的な朝食の一つ、イディリを作る型。

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    1度に80個ほどものイディリを蒸せる。

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    カナンの案内で、オフィス兼ホームのビルディングから数百メートル離れた場所にある学校を訪れた。ここは、コックスタウン最大のスラムで、4万人もの人々が、ひしめきあって暮しているという。

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    我が家からも近い場所ながら、一度も足を踏み入れたことのないエリアだ。スラム街にはアンベードカル、そしてこの界隈ではクリスチャンが多いのか、キリストや聖母マリアの肖像画がたくさん見られた。

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    周辺にバラックが広がるスラム街にあって、5階建ての立派な学校は異彩を放っている。

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    そもそもここには、1923年に設立された公立学校 (Government school)があった。界隈に暮らすアーミー(軍隊)の子女が通っており、アーミーによって運営されていたが、生徒が減ったことから、閉鎖されることになっていた。

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    ところが、当地にゆかりのあるスイス人の夫妻(SEVAという慈善団体を運営)が、アーミーと交渉してこの学校の運営権を得て校舎を整備、スラムに暮らす子供に無償で教育を受けさせるべく、2007年に開校したのだという。

    この学校の実質的運営を、現在はJAGRUTHIが行っている。

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    現在、生徒の数は323名。そのうち、この日出席していたのは、258名。

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    校舎に入ってすぐの部屋。子供たちのカウンセラーが待機している。全生徒の家庭環境や学業の様子、健康状態などが記されたファイルが保管されている。顔写真を貼られ、細かな手書きのメモが記入されたファイルからは、得も言われぬ愛情を感じる。

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    毎日、数時間、ドクターが回診にくるという。体調の悪い子供たちも多く、ドクターの存在は不可欠だ。

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    部屋の一隅には、今は亡き、創設者のスイス人女性の写真が飾られている。

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    廊下には、インド最大の給食センター、アクシャヤ・パトラから届けられた温かいランチが置かれていた。

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    朝食をとらずに来る子供も多いので、キッチンでは毎朝、栄養価の高いお粥を準備している。お粥は校門のすぐそばで、コップに入れて配給される。

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    界隈の水質が悪いので、浄水器は大切。

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    3〜4歳児。ノートを見れば、アルファベットの練習をしている。APPLEのA。

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    こちらは5歳〜6歳児。

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    みな行儀よく、朗らかに授業を受けている。

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    こちらは、小学1年生。

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    英語の授業中。ちなみにこのスラムに暮らすのは、タミル・ナドゥ州出身の家族が多数であることから、子供たちのマザータン、即ち母語はタミル語だ。

    彼らは小さい頃から、タミル語の他に、ヒンディー語、英語、そしてここカルナタカ州のローカル言語であるカンナダ(カナラ)語の計4言語を学ぶ。

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    先生の指導をしっかりと聞き、復唱する様子もかわいらしい。

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    これくらいなら、わたしもわかる。

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    こちらは算数の授業中。

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    これはカンナダ語の授業。

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    高学年になると、公立学校の制服を着用して、ピシッとした印象になっていく。

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    こちらはサイエンスの授業。だんだん難しい。

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    この先生は、マウント・カーメル大学(わたしのもとでインターンをしているピクシーが通っている女子大)で教鞭をとっていたが、リタイアした後、この学校でヴォランティアで教えているという。

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    数学。もはや、なんのことやらわからない。

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    この先生も、教師をリタイアしたあと、ここで数学を教えている。

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    構内に、整備されたトイレがあるのは、大切なポイント。貧困層の通う公立学校では、トイレが不備のところも多く、それが理由で学校にいかない子供たちもいるのだ。

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    手洗いも徹底している。

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    廊下にはセキュリティカメラが設置されており、安全管理がなされている。

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    そしてここが、最上階のホール。広々と開放的で、とてもいい空間だが、ミューズ・クリエイションのバザールでお借りするのは、あまりにも地の利が悪い。

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    上階から見下ろすと、スラムの様子がわかる。狭いエリアに多くの人々がひしめき合うように暮している。

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    その真横の敷地は、アーミーのゴルフ場が広がる。カナン曰く、「天国と地獄です」

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    我が家の方向を望む。木立の向こうの大きなビル群は、我が家に隣接するITC TECH PARKだ。

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    孔雀の羽には、幼児たちの顔写真と誕生日が貼られている。

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    帰り際、外で遊んでいた幼児たちと記念撮影。

    ★ ★ ★

    挨拶をして、今後の訪問などについて、簡単にご相談をするつもりが、2時間ほどもかけて、施設をしっかりと案内していただいた。

    こうして、来るものは拒まず、快く出迎え、案内してもらえるというのは、「書き手」にとっても、非常にありがたいことだ。

    ミューズ・クリエイションの活動の一環としてだけでなく、たとえ特定の媒体からの依頼がなくとも、わたしは自分のために、フットワーク軽く「取材」を続け、発信をしなければならないと、再認識した朝だった。

    娼婦(売春婦)の問題、HIVの問題など、まだまだ詳細を綴りきれていないが、次回の訪問時のレポートに譲りたい。

    ◆JAGRUTHI (←CLICK!)