MUSE CREATION Charitable Trust [NGO]

LOVE & HOPE, NO BORDERS 🌏 国境を越えて、愛と希望。

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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来週月曜日、西日本新聞に掲載される『激変するインド』は、ストリートチルドレンをテーマに書いた。前回の結婚と同様、数回にかけて書くつもりだ。原稿を書き上げて、しかし、それに添える適切な写真がない。

以前、ムンバイで1枚だけ撮影していたストリートチルドレンの写真を送ったが、子供たちが動いていて顔がぶれており、よい写真だとはいえない。編集の方から、できれば撮り直して欲しいとの連絡があった。

たいていの仕事は積極的に引き受け、身軽に出かけてゆくのだが、こればかりは躊躇した。ストリートチルドレンを撮りたくないのだ。だからこれほど膨大な写真を撮り続けていながら、彼らの写真がほとんどない。

貧しい子供たちの写真も、撮りたくない。

さまざまな意味で、彼らは「絵」になり過ぎる。汚れた顔、みずぼらしい服。しかし怜悧に輝く瞳。白い歯。

わたしがチャリティだ、ヴォランティアだということに、今ひとつ素直に取り組めない理由を的確に表現するのはとても難しい。ただ、ここ数週間のうちに何度か記した通り、「つべこべ言わずに行動するのみ」との思いは日増しに強まっている。

バンガロールはこの季節には珍しく、火曜、水曜と雨続きだった。明日には写真を送らねばならないから今日が最後のチャンスであるのに、今日もまた雨だ。

午前中、OWCのCoffee Morningに出席し、友人とランチをとったあと、カメラを携えて子供たちを探しに行くことにした。なにしろ雨だ。ストリートチルドレンもこんな日に、敢えて外をうろうろと歩かないだろう。まずは、子供たちがたむろする鉄道駅へ行ってみようと、バンガロールのカントンメントを目指す。

20station駅。そこから漂う空気に刺激されて、久しぶりに鉄道の旅への、旅情が沸いて来る。

が、感傷に浸っている場合ではない。

子供を、探さなければ。

しかしそれらしき子供は見られない。

夜の寝床がここだったとしても、昼間はここにはいないだろう。

やはり、スラムへ行こう。

スラムへ行くのは、やぶさかではない。ただ、彼らにカメラを向けることに、抵抗がある。しかし、たとえ自分が報道写真家でないにせよ、記事や写真は新聞に載るわけで、中途半端な感傷で中途半端な仕事をするのは不本意だ。

20bus色々と思い巡らせつつ、車窓の外を眺めていると、前を走るバスに目がとまった。

子供たちが食事をしている様子が、バスのボディに描いていある。給食サーヴィスの車のようだ。

バスの後部の文字が、目に飛び込んで来た。

“Feeding for a hungry child is not charity. It’s our social responsibility.”

「お腹を空かした子供に食事を与えることは、チャリティ(慈善)ではありません。我々の社会的責任です」

やれやれ。

先日の渡邊美樹氏の言葉に引き続き、今日は、バスに説得されてしまった。世間は教訓に溢れているというものだ。

「社会的責任です」

今まで「慈善活動」とか「ヴォランティア」と定義して来たからこそ、わたしの中の理屈っぽい感情が拒絶反応を起こしていたのだと思い至った。今後は「社会的責任」と表現しようと思った。すると、ぐっと積極的になれる。

早速、このブログの「カテゴリー」も、「慈善活動: Charity」から「社会的責任: Social Responsibility」に変えた。

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ところでバンガロールには、大小750ものスラムがあるという。繁華街であろうが、高級住宅街であろうが、スラムはあちこちに点在している。

普段は通り過ぎるだけのところを、車を降りて歩いてみることにした。なにしろ、激しい雑踏。その上、雨が降っている。せめて雨がやんでくれればと思うが、仕方ない。

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ムンバイのコラバ地区周辺のスラムは、「漁村」ということもあり、猛烈な悪臭であったが、ここは匂いがあまりしないだけ、ましかもしれない。いや、わたしの嗅覚が麻痺してしまっていたかもしれない。

雨が降っていることもあり、外に出ている人はいつもよりはるかに少ないが、普段はこのあたり、貧民の人だかりができている場所だ。

馬小屋があり、荷馬車が走り、ヤギの群れが横切る。その傍らを、バスが走る。オートリクショーが走る。自動車が走る。バイクが走る。自転車が走る。人間が、縫い歩く。

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今日は、一眼レフの大きめのカメラを携えている。雨の雫に濡れるカメラのレンズを拭きながら歩いていると、ゴミだめの山の奥から、「写真を撮ってくれ」と笑顔を見せる青年ら。

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ゴミと言えばゴミだが、彼らは「廃品回収業」をやっている。新聞やボトルなどを回収し、重量単位で現金に変える仕事だ。これらの廃品は、専門の業者がまとめて買い取ってくれる仕組みになっている。

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往来の激しい交差点に沿って、バラックが連なるあたりを歩く。あたりの光景を撮影していると、無闇に陽気なおじさんが、やはり写真を撮ってくれとこちらに笑顔を見せる。

インド庶民は一般に「写真に撮られたがる」人が多いのだが、スラムのおじさんも、そうらしい。やけに、味わいのあるいい表情をしたおじさんである。おじさんはさておき、子供を撮影しなければ。

しかし、皆、今日は屋内にいるのだろうか。あまり見当たらない。と、小汚いスラムにも関わらず、きれいな身なりをした少女が二人。笑顔で、「写真を撮ってもいい?」とゼスチャーをすると、恥ずかしそうに笑う。

バラックに住んでいながら、雨の中を裸足でありながら、しかしこのきれいな衣服はどうしたことだろう。イアリングやネックレスまでしている。かわいらしい。

ぼろぼろの家と、あまりにも不似合いな、艶やかな衣類。なんだかよくわからない。今日はハレの日なのだろうか。ともあれ、ここは子供が少ないので、また別のスラムへ赴くことにした。

我が家から近い場所の、周囲には高級アパートメントや住宅が立ち並んでいる一画に、そのスラムはある。車を降りる。

20slum35子供たちの姿が見える。

いきなり、彼らに近づいて行くことはできない。

とりあえずは、と、スラム全体の様子を撮影していたら、子供たちが近寄って来た。

自分たちから、撮られようとしてくれる。

きちんとした服を着ているが、やはり裸足だ。

裸足であることには、カースト、不可触民(アンタッチャブル)な人々のことなど、あれこれとあるが、ここでは触れない。

ともあれ、もちろん、学校には通っていない。

この子たちも、物乞いをして、暮らしているのだろうか。

撮影していると、どこからともなく子供たちが集まって来た。

皆が口々に、

「アンティ!(おばさん!)」

「アンティ!」

と、それはもう、賑やかだ。

20slum37自分もとってほしいと、何人もの子供たちがわたしを取り囲む。

撮られ慣れていないから、撮影されるには距離が必要だというのに、わたしの目の真ん前に立ちはだかる子供たち。

撮ってあげるから、ちょっと後ろに下がってとゼスチャーをする。

撮り終えた写真をカメラのモニターで見せると、皆、大はしゃぎだ。

英語で、”Oh My god!”と叫ぶ女の子もいる。

どこで覚えて来るのだろう、そんな言葉を。

子供たちは、元気で元気で、何枚も、写真を撮ってくれと、頼む。

嵐が来たら吹き飛んでしまいそうなこのバラックで、彼らは暮らしている。

学校も行けずに。

ちゃんと、食べられているのだろうか。

このあたりには、慈善団体もあり、給食サーヴィスもやっているから、きっと最低限は食べられているだろう。

最低限は。

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ひとしきり撮影を終えたら、

「アンティ、サンキュー!」

と、今度は皆が、手を差し伸べて来る。

一人一人が、わたしと握手をしたがる。

その、小さく、しかし力みなぎる手、手、手、手、手!

一人の少女が

「アンティ、チョコレート!」

と言う。

するとみんなが声をそろえて、

「チョコレート!」「チョコレート!」と叫ぶ。

そばにあった、やはりバラック小屋のような小さな小さな店で、たくさんのキャンディーをまとめて買い、店の人に頼んで子供たちに配ってもらった。

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右端の、帽子を被った少年は、流暢な英語で話しかけて来た。

「アンティ、どこから来たの?」

「アンティ、ここは、よくないよ。今日は雨だから、濡れる。この場所は、よくないよ」

この子は、学校に行っているのだろうか。英語は、どこで学んでいるのだろうか。

雨脚が強くなって来た。そろそろ引き上げようとしたところ、小さな小さな男の子が、恥ずかしそうにわたしの方を見て、しかし写真を撮って欲しいとゼスチャーをする。

まだ3歳くらいだろうか。こんなに小さいのに、顔立ちはくっきりとした、表情で。

最後に、彼の写真を一枚撮る。

なんという、その、指のようす。

……いろいろと、たまらん。

もう、彼らと触れ合ってしまった以上、もうこれから、街で見かける貧しき子供らを、見て見ぬ振りをすることが、とても難しくなるだろう。

なんとか、自分ができることを。するしかない。

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■そして、翌日。■

今、翌日の21日だ。先ほど、買い物に出かけた。近所のパン屋のそばで、薄汚れた二人の少年に物乞われた。お金を渡すのはよくない。しかし、パン屋で買ったのは明日のクリスマスパーティーのためのお菓子。分けることはできない。

一人の少年を見て、はっとした。見覚えのあるシャツを着ている。昨日の子? まさか!

いや、でも、この派手なシャツは、確かに昨日の子だ。額の一部が、皮膚病だろうか。少し白い。

けれど、昨日よりもシャツは薄汚れていて、彼の表情もまったく違う。ぼろぼろの、悲しい目をして、わたしに、食べ物をくれと乞うている。

わたしは、振り切るように車に乗った。途中で果物の屋台が見えた。そこで、車を停めて、せめてバナナでも買って、彼に渡せばよかっただろうか。そうすれば、よかった。

今、家に戻って来て、こうして昨日の写真を見直して確信した。さっきの少年は、一番上の写真の真ん中で笑っている少年だった。

顔が、表情が、全然違った。やっぱり彼らは、物乞いをして、生き延びているのだ。

学校になど、行けやしないのだ。

これから車の中には、ビスケットやクラッカーなど何か食料を常備しておこうと決めた。たとえきりがなくても、いい。それは簡単にできることの、範囲内だ。

「袖擦り合うも他生の縁」である。せめて、わたしに乞うて来た子供たちにだけでも。

“Feeding for a hungry child is not charity. It’s our social responsibility.”

いずれにしても、行ってよかった。

昨日は、スラムへ。

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